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22:木馬の背から眺めて

4歳ごろ。
訪れた遊園地は2箇所あり、いま思い浮かべる記憶が、どちらの場所での出来事だったのかが定かではない。

8月に訪れたのは、以前の記事で書いた『仮面ライダーBLACK』と写真を撮った場所。

10月に訪れたのは、もう少し遠方の、他県にある大きな遊園地だった。
両親の結婚記念日は11月5日だが、このとき10周年を記念して、家族で一泊したらしい。

***

私は、あまり身体が振りまわされる感じの乗り物は好きではない。
ジェットコースターは「怖い」という感情よりもむしろ、振りまわされることによる「不快感」が先にくる。
修学旅行などで乗ったことがないわけではないが、大抵は乗ったあとに「なんだか不愉快」な気分になったものだ。

子供のころは、しばしば乗り物酔いに悩まされていたので、潜在的な苦手意識も働いていたのかもしれない。
いまでも、自分の運転する車ならいいのだが、人の運転や、公共交通機関は、車内のニオイなども含め、どれもこれも苦手だ。

そんなわけで、4歳の子供としては、おのずと大人しい感じの乗り物を選ぶことになる。

特に記憶に残っているのは、二人で並んで座り、ペダルを漕いでレールに沿って進む乗り物。
形状としては、スキー場のリフトのようなイメージだ。
隣には親が乗り、地上から少し高い位置を、のんびり空中散歩するような感じだった。

観覧車も、高いところをゆっくりと移動する。
安アパートの外階段のような金属の床。公園のブランコの支柱のような、高所に行くにはちょっと頼りなさを覚える造り。
風で揺れ、キイキイと音をたてる。
思い返すと、時代を感じさせる部分だという気もする。
いまの観覧車はどうなっているのだろうか。

それから、ゴーカート。
2人乗りで、両方ともハンドルはついていたのだが、右側に乗った父が運転して、コースをまわった。
詳しく知らないが、左のハンドルは子供用のダミーだったんじゃなかろうか。
子供は、バリバリと鳴るカートのエンジン音と、運転の気分だけを味わうということだ。もっとも、小学生くらいであれば、子供でも運転するのかもしれないが。

すべてがレース場のようなコースではなく、途中は緑のなかに通した道を走るような感じだった。
道の両サイドは背の低いバリケードで補強されていて、少々ぶつけてもいいようになっている。
自家用車とは違い、道に貼りつくように走るカートから見える景色は、地面も路肩の植物も近く、背後に飛んでいくような感覚があって、なかなかの迫力だった。

あっという間にコースを走り抜け、ゴール地点へ到着する。
そもそも父はクルマ好きなので、喜んで運転してくれたと思う。
しかし、このときの私は「自分で運転してみたかったな~」と思っていた。
そのことを、やけにはっきりと覚えている。

家では、座椅子をひっくり返して、座面の下についている「椅子を回転させるための金属の輪」を「ハンドル」に見立て、運転の真似事などをやっていたものだ。
車もバイクもたいして好きではないが、運転に対する憧れはあったのだろう。

***

最後に、よく覚えているのはメリーゴーラウンドだ。
おそらくは、姉が乗りたがって、あとに続いたのだろう。
両親は外側に立って、カメラを構え、近づくと手を振っていた。

木馬に跨がり、ゆっくりと上下しながら回転する。
考えてみれば他愛もない遊具なのだが、記憶にはしっかり残っている。

馬車タイプや、子鹿のようなデザインの木馬もあったが、跨がったのは白馬だった。
時代劇が好きな子供であれば、ここで『暴れん坊将軍』でも思い浮かべたのかもしれない。
当時の私は将軍よりも忍者のほうが好きだったようなので、そういう妄想には繋がらなかったのだろう。

ペンキを塗られてテカテカしている白い木馬。
塗り分けはされているものの、鞍などの馬具も一体化して全体がつるりとしており、生き物らしさはない。

それでも、なにか特別な体験だった、という感覚で記憶に刻まれている。

あの日、馬の背から見た両親の笑顔は、忘れないだろう。


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