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ぼろ電車

※このお話はフィクションですし、もちろん飛越鉄道も架空の鉄道です。  飛越富山駅には市内電車も乗り入れてくる。 そして定期的にひたすら異彩を放つ電車がやってくる。リベットでごつごつの頑丈そうな車体をゆらゆらと揺らしながら入線するその電車は、他には見られないような貫録を放ちながらゆっくりと停車する。  このぼろ電車が製造されたのは令和はもちろん平成も昭和もすっ飛ばした大正15年。 製造当時のこの電車はホ103型といい、単車にあふれた瀬戸電気鉄道の新進気鋭のエース電車であった。

    • 雄踏に鉄道を!

       浜松市の西のほう、浜名湖の近くに雄踏町はある。 温泉があり、ロイヤルホテルがあり、住民も多いこの地域は東海道線が付近を経由しているにもかかわらず中途半端に不便なところである。  バスは渋滞に巻き込まれて遅延は日常。主要道路は浜松や豊橋へ向かう人々でごった返す。東海道線は駅間が長いがために多くの需要を拾えない。  しかし需要はあるのである。  ここならば活気のある地方架空私鉄が作れるのではないかと私は浜松在住の方に打診された。  雄踏は正直思い入れのある地であるから私もノ

      • 瀬戸電の処遇

        明治20年代に中央線の誘致にズッコケた瀬戸を含む窯業地帯。 貨物需要を常に抱えるこの地域は鉄道の開業を熱望していた。 しかし来なかったものはどうしようもない。 そんな中、「独自で鉄道敷いたなら大曽根に駅を開設してもいい」という約束を取り付けることに成功。 そこで加藤杢左衛門をはじめとした瀬戸の実業家の出資により「瀬戸自動鉄道」を設立し、矢田川の架橋に手こずったせいで矢田〜尾張瀬戸間の暫定開業ではあるが1905(明治38)年4月にどうにか開業に漕ぎ着ける。 翌1906

        • 飛越鉄道のはじまり

          飛越鉄道とはざっくり説明しますと 「高山線を明治私鉄として開業させたもの」になります。 まずはこの構想のはじまりからお話することにしましょう。 具体的な計画が出来上がったのはほんの昨年のことですが、元となる計画が出てきたのは私が保育園の年長だったころまで遡ります。 私は名古屋市から岐阜県の田舎、川辺町へと引っ越しました。 私は今も昔もパノラマカー大好きマンですので、パノラマカー引退に大きな衝撃を受けました。 「なんでなくなっちゃうの」 ほんとにそれしか考えてなかっ

        ぼろ電車

          はじめに

          はじめましての方ははじめまして ひだじと申します。 この度noteを始めることにしました。 ざっくりとお話ししますと、自作の架空鉄道のまとめ的なものをつらつらと書いてみようかなと思います。

          はじめに