飛越鉄道のはじまり

飛越鉄道とはざっくり説明しますと
「高山線を明治私鉄として開業させたもの」になります。

まずはこの構想のはじまりからお話することにしましょう。

具体的な計画が出来上がったのはほんの昨年のことですが、元となる計画が出てきたのは私が保育園の年長だったころまで遡ります。

私は名古屋市から岐阜県の田舎、川辺町へと引っ越しました。

私は今も昔もパノラマカー大好きマンですので、パノラマカー引退に大きな衝撃を受けました。

「なんでなくなっちゃうの」

ほんとにそれしか考えてなかったですね(笑)

それがやがて「ないならつくればいい」

の発想になってきます。

さらに川辺あたりまではそこそこの人口があるにも関わらず、本数も一時間に一本以下という悲惨なもの。

「隣を走る国道41号はあんなに車通り多いのになぁ…」

これが私の架空鉄道のはじまりでした。

高山線に並行する私鉄の妄想をしたことからはじまったんですね


紆余曲折あって2021年。

とある知り合いがあるディスコードサーバーに入らないか?と声をかけてくれました。

そのサーバーの名を「架鉄評定」といいます。

架空鉄道ってどんどん荒唐無稽なモノになりやすいですよね

自分もそうでした。


その点評定は違いました。

関本先生(https://twitter.com/NJ_PCC?t=gAW4b9aqLu3qCIiJUxpOdQ&s=09)やはすま先生(https://twitter.com/Myonhaorenoyome)等のお話を聞くたび、どんどん私もその思想に染まりだしました。

「鉄道は街の血管である」

突き詰めればこれなんですね。
いかに街との関係があるのか、どのような経緯で産まれたのか…

言ってしまえば今まで追いかけてたのは線路上、もしくはそれに付随するもの。

例えば沿線の街の発展にどのように鉄道が寄与したのか…等は確かに興味はありましたが架空鉄道を考えるにあたって考えたことはあまりありませんでした。


だから評定の説明を見て

これだ!!!!!

ってなったんですね

なんていうんでしょうかね

今までの架空鉄道に対する疑問点が一気に吹き飛んだ気がしました。




飛越鉄道構想


ある時、評定でふと高山線の話題が出てきました。

「もし高山線が私鉄だったらなぁ〜」

私が常々思っていたことを出し、

関本先生やはすま先生がそこに妄想をちょっと語りました。


これだ!!


って思いましたね。

幹線鉄道レベルの私鉄。

今の日本には存在しないものです。


史実の高山線は北陸本線の短絡線的役割を持ち、富山、高山、下呂、岐阜とそこそこの大都市や観光地を結ぶはずなのに、その最初からかなり冷遇された路線でした。


これからそんな高山線にスポットライトを当てた
飛越鉄道の世界について語るといたしましょう

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