甲府、井戸尻考古博物館、諏訪観光 〜30km歩いた〜
私は今、次のリゾートバイト先である奥飛騨に向かっている。
奥飛騨に向かうには新宿バスタから高山のバスに乗り、そこから奥飛騨行きのバスに乗るルートがある。だがそのバスの料金は結構高く、急ぎの旅でもなかった。
そのため、今回は新宿からバスで甲府、そこから松本へ行き、平湯温泉行きのバスに乗るというルートを選択した。山梨周辺は行ったことがなかったので、観光したい場所が結構あったのだ。
甲府観光
時刻は朝8時、石和の快活CLUBに宿泊した私は、甲府駅に向かう。
初っ端から話がそれるが、日本はドミトリーなどの宿泊施設こそ少ないが、快活CLUBなどのネットカフェが充実しているので、宿泊には苦労しない国だと思う。私のように宿は寝るだけと考えている人間にとってネットカフェは最低限のモノが揃っているし、なんなら海外のドミトリーよりキレイだ。私は放送大学の学生なので割引が入り、ナイトパックを使えば8~12時間を1000~1500円で宿泊できる。ドリンク、ソフトクリーム、シャワー、Wi-Fi、半個室であることを考えれば安い!
話を戻すが、私は石和から甲府駅まで歩いて向かった。今思えば電車に乗れば良かったのだが、石和駅まで微妙に距離があるし、甲府駅まで6km程度だったので、まあイケるだろという安易な考えで歩いた。しかし荷物は6kg程度のバックアップと1kg程度の手提げバッグを持った状態だ。それで炎天下6kmを歩くのはまあまあダルかった。電車代も200円しか節約できてねえしな笑。
甲府駅についたら、まずは市役所の屋上で甲府の街を一望。
次は甲府城跡を見学。城が公園となっているのが面白いし、無料で櫓を見学できるのも凄い。
次は武田神社へ向かった。武田信玄は金山の収入を利用することで年貢を五公五民にしていたり、信玄堤というダム的なやつを作ったりなど戦争に強いだけでなく、インフラにも気を配っていたらしい。暴虐なイメージを持っていたので意外だった。
甲府の街は碁盤の目のように築かれており、傾斜地のため水が貯まらないように水路が張り巡らされている。また戦国時代までは駅の北が中心となっていたため大名の家の跡や住宅街が集中している。一方で戦国以後は駅の南に中心が移り、商業地域が集中している。こういうことを知るだけでも面白かった。
ランチは「甲州ほうとう小作」でかぼちゃほうとうを食べた。「ほうとうってただの味噌煮込みうどんだろ」と最初は考えていたので食べる気0だったが、歩いたせいでお腹ペコペコだったので食べてしまった。まあ案の定というか、山梨県民には申し訳ないのだが、ただの味噌煮込みうどんという感想しかない。あと、これで1400円は高え。
高城剛の『和牛3.0』に「信玄はほうとうの食べ過ぎでSIBOになっていたのではないか」と書いてあったが、確かにほうとう用のうどんはメチャクチャデカくてパンチがあるくせに、具材はかぼちゃ、じゃがいも、里芋という炭水化物のオンパレードだ。私も食べた後に速攻で眠くなったので、これを食べていたら早死するだろうと感じてしまった。
井戸尻考古館
信濃境駅で降りて、井戸尻考古館に向かう。この南アルプス周辺は縄文人が最初に定住していた場所で、土器などがいまだゴロゴロ発掘されている。
最近の遺伝子研究により真の縄文時代が暴かれそうな今、個人的に縄文時代はホットな話題なのだ。
博物館や遺跡は周辺に色々あるのだが、今回は駅チカの井戸尻考古館に向かった。それでも片道15分は歩くのだが。
300円という手頃な値段で見学できるにしては、メチャメチャ満足できる内容だった。
こんな芸術性がある土器を作れる縄文人が、程度の低い文明だなんて、とても言えないだろう。
またここには、都市伝説業界では有名な「人面香炉型土器」がある。写真撮影禁止だったので、画像が見られるリンクを張っておく。
やはりこの土器だけは、見学している中でも明らかに異質だった。都市伝説的にはこの土器は逆さまに見るのが本来の姿らしい。そうするとメデューサのような姿に見える。まあそんなことは置いておいても、この土器はそうとう創造性がなければ作れないだろう。
なぜ縄文人が南アルプスを選んだのか?
最近の遺伝子研究によると、縄文人はオーストロネシア語を話す海洋民族らしい。海から関東に到着し、そこから内陸に入って南アルプス周辺に定住した。彼らはかつて海面上昇により大陸を失った経験から、山岳信仰になったらしい。
ではなぜこの南アルプス周辺なのか? 黒曜石がでるとか、諏訪湖周辺の標高が都市伝説業界で話題のギョベクリ・テペと同じだとか、白州の水が美味いことに気づいていたとか、中央構造線が関係しているとか、いろいろな説があるし、私はどれが分からない。
ただ甲府から松本まで移動して感じたのは、川を中心に左右が常に山に囲まれていて、しかも山が近いことだった。最近は縄文時代から稲作が始まっていたことが判明しているが、それでもメインは狩猟採集だ。山が近いと採集しに行きやすかったのではないか? 個人的にも山に囲まれているのに圧迫感がないと歩いていて感じた。
諏訪
諏訪大社は上社と下社が離れており非常に観光しづらいし、公共交通機関の便も悪い。上社を見るために茅野で降りて、その後電車で下諏訪まで移動し、下社を見学した。合計で10kmほど歩くことに。
国津神の神社だし、今度いつ諏訪に来るか分からないので、走って弾丸観光だ。一番凄いと思ったのはやはり本社だった。
最後は平田の快活CLUBまで移動しフィニッシュ。歩いた距離は30km! 重量7kgの荷物を持ちながら頑張ったのではないか?
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