見出し画像

思えばわたしは



思えばわたしは、昔から誰よりも「女の子」に固執していた。


それは母の教育が大いに影響していて、わたしの幼少期の写真はほぼ100%でワンピースかスカート姿だ。そして、もれなくフリルが付いている。

公園でお砂場遊びをしていても、ドレス。
自転車を漕いでいても、ドレス。

それは母とお揃いのピンクハウスや、当時はフリル愛好家にお馴染みのキッズブランド・シャーリーテンプルなど、わたしは自分で言うのもなんだけど、とにかくラブリーな「女の子」だった。



好きな色は、ピンク。
将来の夢は、お花屋さん。
習い事は、クラシックバレエ。



私服で小学校に通うのに、何故かデニムは一本も持っていなかった。

一体何を着て行っていたんだろうと思い出すけれど、バレエの為に年中日焼けも怪我もしてはいけない子供だったわたしは「外で遊ぶ」という概念を持ち合わせていなかったので、ズボンを履く必要なんてなかったのだと気がついた。




好きな色は、ピンクと白と水色。
休み時間の遊び方は、読書かおしゃべり。
得意な教科は、国語と道徳。


ずっと、髪を伸ばしていた。
前髪をオールバックにしないといけないし、纏めてお団子にした時に量が少ないと貧相だと先生に叱られるから。

中学生になって8年間続けたバレエを辞めて、初めて前髪を目の下まで切ったとき。

背徳感でゾクゾクした。

喪失感で胸が詰まった。


見慣れない自分に、アイデンティティを失ってしまったような自分に、次の日にはもう早く伸びればいいのにと思ってしまった。

結局その後もわたしが前髪を切ったのは、その一回だけだった。


高校生になって、胸下まで伸びた髪を茶色に染めてゆるいパーマをあてた。「森ガール」というジャンルが流行っていた頃、生成りのロングワンピースとペタンコの赤いバレエシューズ、顎までの前髪は毛糸の花飾りが付いたピンで留めた。



好きな色は、ピンクとベージュ。
よく聴く音楽は、YUKIとCHARA。
放課後は、バイトかスタバ。



高校を卒業しても、相変わらずわたしといえばふわふわパーマのロングヘアだった。

パンツよりも、スカート。
スニーカーよりも、パンプス。

わたしは、幼い頃から自分自身に植え付けられた「女の子」のイメージをずっと守っていた。


鞄の中にはハンカチを欠かしたことがない。
ウエットティッシュまで持っている。


誰のために?

自分のために?



その均衡がいきなり崩されたのは、3年前だった。

「なんか、小ダサい」

転職した先のマネージャーの辛辣な一言で、わたしは次の日に顎上まで髪を切った。


鏡の前のわたしの顔をしたひとは、少し誇らしげで、でもどこか怯えているような気がした。


変わりなさい。甘えを捨てなさい。

そんな暗示をかけられているようで。



けれど、そこから本当に人生は変わってゆく。


クローゼットが別人みたいになって

ぼやけた色の服は、すべてハッキリした色に
ふんわりしたラインのスカートは、タイトスカートに

好きな色は、ネイビーと黒になった。



熾烈な環境は、わたしを強くした。

負けないために、折れないために、
強く見せなきゃ、生きていられなかったのだ。




今、鏡の前にいるわたしの顔をしたひとは。


幾年ぶりかに胸上までのミディアムヘアだ。
あのバッサリショートをずるずると放っておいたら、ここまで伸びてしまった。

まさかまたこの姿に出会うなんて思ってなかったなぁ、といつも思う。


シャンプーをして髪が重いことに驚いて
ドライヤーをして髪が乾かないことに苛ついて


だけど最後には指を梳かせながら、やっぱり似合ってるんじゃない?と呟いてみたりして。




「女の子」らしい子になりなさいと育てられたわたしは、もうすぐ29歳になる。

女の子っていつまで言っていいの、お母さん。


自分のことを女の子と思える時までよ。
そういえば昔から誰よりも女の子らしかった、可愛げのある母の声がする。


顎上のショートも、胸下のふわふわパーマも、

伸ばしきっただけの微妙なこの髪だって、


ぜんぶ、ぜんぶ、わたしだ。



好きな色は、ネイビーとピンク。

何色だっていい。


なりたいわたしに、なりたい。



価値を感じてくださったら大変嬉しいです。お気持ちを糧に、たいせつに使わせていただきます。