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見えざる客が来るときは

まず大前提として、私は霊感はありません。
カンが鋭いだけです。
この場合の霊感とは、

「幽霊を見ることや除霊、浄霊スキルがあるかどうか」

についてのことです。
嘘や!と思った方、そのツッコミもある意味正しいです。
私は目に見えない情報をキャッチして、その正確性を判断する、
ということは日常的に行っています。
でも、鈍感になるべきところは鈍感にして、と
受け取る内容を日常生活の都合上振り分けています。
そうしないと疲れるからです。意味も無いですし。


また、できることをなんでもできると公言していいとは思っていません。
だって、できるからといってやっていいとも思っていないことと、限界もあるからです。
自然の流れに逆らう形は反動が怖いですし、
普段人間を見守ってくださっている神様と呼ばれる存在の怒りを目の当たりにしたり、
その使命を帯びて行動している存在の警告を無視したりして、
死にそうなほど怖い目に遭ったりしました。

餅は餅屋。これに限ります。


だから昔から、霊能者や霊能に生きる人からは、
色々相談を受けたり確認のアドバイスを請われていました。
あるお寺のお坊さんの銅像のところに毎日通わされてチャネリングをさせられたり、あれやってる間は自覚なかった、ただの日課だと思っていましたが、知らない仏教用語が出てくるんですよね。へえー。という感じでした。

私自身は幽霊を見たりする霊能には興味が無いんです。
若い頃はよく見ました。
でも見えた結果、これはプラスにはならない、と肌で感じました。
霊能者の友人が形見で残した指輪は、私の霊能を封じるアイテムでした。
それくらい、私にそっちの世界は苦悩の世界だから立ち入るな、と
押し返されていたのです。
不思議な話やホラーを映画で見るのは好きですけどね!
それが現実の世界に具現化するのは勘弁してほしいです。

霊能に生きる人の中には、
コンプレックスが霊能に歪みを起こしている人がいて、
私はコンプレックスを刺激しないように気をつけて接しているつもりでしたが、大抵

「あなたは幽霊が見えないんだから私のほうが上よ、私の言うことを聞きなさい。そうしたら間違いがないから。」

と、私の感覚を利用するだけして、でも優位性を保とうとする、
という関係に陥りました。
コンプレックスの正体は、自分への自信の無さ、です。
人とは違うと誇れる霊能がその人たちのプライドのよすがとなっているわけです。

でも私は、
「まあいいよ、私一般人でいたいから好きにすればいい、そのほうが丸く収まるし」とか、
「これ反論するとめんどくさいなー。まぁいいや、わざわざもめなくても。それにプライドが傷つくだろうな。それは申し訳ないな。」と軋轢が起こるのを避けていました。

最近になってわかりました。
このスタンスは優しさでも謙虚でもなんでもなかった。
自分を曲げて、自分に嘘ついて相手に合わせるなんて、
そして自分が被害を受けて、私は私自身を深く深く傷つけて、
そして相手にも周囲にも害をなすということが。

いつも黙っていたわけではないです。
命に関わる状態になっているある人に、
「もうその仕事をやめてください。誰も助けなくていい、このままだと危ないので、あなた自身が助かってください。」
と伝えたこともあります。
でも、信念を持って霊能仕事をされていたので、止められるものではなく、その方は亡くなりました。

体が動かなくなって介護を受ける状態になってから後悔した、とその方はブログで語っていました。

傷つけまいと思って控えても、相手のためには全くならないし、
その人が「好きで」やっていることは止められません。
コーチングで関わっている人も例外ではありません。
でも、私は上記のように言葉選びに悩み、なるべく相手を傷つけずにすむまいかと逡巡します。
それがタイムロスを生む大きな原因になってしまっています。
でも、伝えた場合、伝えなかった場合、で相手のメリットやプラスになるかどうかで判断して動いていますが、悩むのも、揉めたくないなど自分のエゴでもあるわけなので、重い腰を上げることにしました。

前置きが長くなりました。

数日前のこと、一日中異様な喉の乾きを覚えていました。
水分を摂っても摂っても喉がカラカラ、これは絶対おかしい、霊症だ。しかもこの人死因が焼かれてで酷い亡くなり方してる。
また、体の一部に痛みが出て、アカコードの太い道がこっちに来ていて、
誰やねん、私に頼りたいって、忙しいねんけど。
と怪訝な気持ちでいました。
仕事が終わってから、確認してみると、
私の右半分上体に、髪の長い女の人が重なって「いる」のがわかりました。
基本的に霊体と目は合わせないようにしていますので、
顔はあまり見てないです。
それから、鏡などを通して目で見たのではなく、
私の頭の中のスクリーンに自分ごと映像が見えるのです。
何度も何度も確認しました。二度見三度見、という感じです。
質感としては一人じゃないので、もう一体いるのかな、と意識すると、
小さい霊体がくっついています。
それもめっちゃ小さい勾玉のような赤黒い。

あっちゃー。

ユマさんとこに祟ってる人とゆーすけやん。

仕方なく

すみれ「やっぱり来たのね。何したいん?」
女性「。。。。。。」
すみれ「あら?まだ成仏してないね、確認するわ。
・・・え?修行させて欲しい?
いやいやもすこし浄化が先でしょうが。
修行はゆーすけもやりたいって?
・・・ユマさんに真実を伝えてくれ?
えー。まぁこっち来たかわかってるか確認するわ。」

メールで確認。

ユマさんは成仏させたと思っていたらしいです。
そのようなスキルは今のところ持っていないようですが。
成仏させるイメージって漫画などで書かれているそのまま表現すればできると思ったら違います。
慈愛がないとまず、何も動かないです。
今回暗い質量が減っているのも、私サイドのマナを(それもウニヒピリの低いマナでなく、高いところの方)大量に分け与え続けたから浄化の方向に向いたんです。
それだけではないですけど、書く機会があったらいずれ書くかもしれません。

そこで私のクリーニングをしてみました。
過去に霊能の視点で生きている友人やら知人やらと私はどうあったのか。
そこで前半に書いた結論に至りました。
あの人たちとの経験で私が生き方考え方を変えない限り、
この葛藤は続くんだ、と悟りました。
受け入れられなくても、もの分かれになっても、
違うものは違うんだ、と勇気を持って言わなければ、
その人たちの人生も、どんどん影の部分に影響されて歪んでいってしまうかもしれない。

クリーニングのお手伝いをする、と公言した以上、
陰でフォローするのは当然で、
でもその思い違いが今後のユマさんに大きな影を射す、とわかるので
公言したくなかったけど、書く必要に迫られたわけです。

やっぱり?となったのは、ユマさんがゆーすけと交流してユマさんのウニヒピリではない、と指摘したくらいのタイミングでこちらへ来たがっている空気があったのと、女性が代々祟っている、とユマさんが記述して確認作業をした時に、こちらへ来る意思を感じたことと、それぞれ実はありました。

霊視、というか、アカカードを伸ばす、触る、という行為は縁ができることに繋がりますので極力やりたくないし、そこまで相手の事情に興味を持つほど暇じゃないからです。

「修行させて欲しい。」

についてなんですが、実は昔から度々あったことなので、
またかいなー。
というノリなんです。

ウチ来ても霊能漫画の霊能者の眷属。とかってあんなかっこよさげにはならんのですが(絶句。)
修行することによって過去の人を祟った「罪」を清算したいのだそうです。
喉の渇きは、私が観念して、ユマさんにオブラートで何重にもくるんでいることを伝える、という女性の願いを聞き入れることでピタリとなくなりました。

とはいっても、この願いを聞き入れるまでに、私は自分の忙しさにかまけて保留にしていたため、なんと
モコモコさんのところに女性がお邪魔して訴えたのです。

喉がめっちゃ渇いておかしかった

眠る前に自分のウニヒピリを確認しようとしたら、こんな目のつり上がった髪の長い女の人が見えたわー。
ぜんぜん成仏しとらんやん。

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