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『文章が書けない・興味がない』と思ってた私が今、『文章を書くのが好き。自分の内側にある世界を言葉にしてみたい』と思ってる。

『私には、文章を書くことができない』と、ずっと思ってた。
学生時代も、大人になってからも、ブログを書くようになってからも…、長い間ずっとずっと思ってた。

なのにさ、大学4年の頃、友達が「本を書いてみたい」と語るのを聞いて、すごく羨ましく思った。『私だって…』って。
変でしょう?

だけどね、
そこには、子供の頃の自分の中で抑え込んでしまった思いがあったんだなって。
だからきっと、大人になってから自然な流れで文章を書くことになったんだと思う。
文章を書きたい気持ち、何かを表現したい気持ちが、ずっと消えないんだと思う。

※※

セラピストになってからの経験を書きたい。
それが、私がブログを書き始めたきっかけ。

だけど、当時の私は自信がなくて…、結果が出る前に諦めてしまった。
何度も何度もチャレンジしてみたけど、なかなか結果が出ることがなくて…。いつの間にか挑戦すること自体をやめてしまった。

気づけば、収益のために、本来書きたかったこととは全く違うことを書いていて…。
書いても書いても苦しくて、心が満たされることはなかったんだなって。

だけど今、もう1度書いてみたいって思ってる。

文章を書くのが好きだから。
自分の内側にある世界を、言葉にしてみたいから。

今日はただ、そんな感じ。
ただ、わたしが今『書きたい』と思ってる理由に気づいた。そんなnote。

「本を書いてみたい」と言える友達が、なぜか羨ましかった。

大学時代、「いつか本を書いてみたい」という友達の言葉を聞いて、すごく羨ましく思った。
なぜか『私だって…』という気持ちが生まれたけれど、『私に文章なんて書けるはずがない』と思って、『どうしてこんな感情になったんだろう?』と『私だって…』という思いを打ち消した。

当時の私には、『深く話すことをしたい』という夢があって…、それをこっそり叶えるためにセラピストになることを心に決めてた。
「私は、いつか本を書いてみたい」という友達の夢を聞いたのは、私が夢を語った後だと思う。

あの後ずっと、不思議に思ってた。
私は「読書が大好きな人」じゃないし、「文章を書くのが上手な人」でもない。『文章を書こう』なんて思ってなかったし、『本を書いてみたい』なんて考えたこともなかった。
それなのに、友達が「いつか本を書いてみたい」と言った時、応援する気持ちと一緒に『私だって…』と思った。

子供の頃の私が諦めたことで、本当は好きだったから。

今は、わかってる。
あの時の『私だって…』は、子供の頃に抑え込んでしまった私の気持ちで。それはきっと、今でも残ってる。

子供の頃、ひとりで手紙を書いて、引き出しにしまってた。誰にも見られないように、破って捨てたりもしてた。
母に見つかって、手紙を読まれるようになってからは、手紙を書かなくなったけど…。
それ以降も、学校で作文を書く時間が好きだった。

中1の時には、夏休みに泣きながら書いた作文が入賞して、本に載った。
先生たちがほめてくれて、すごく嬉しかったし。たくさん図書券をもらえて、自分の書いた作文が本に載ったこと・『認められたんだ』て感覚が嬉しくてしょうがなかった。
自分の書いた作文がプリントアウトされて配られるのは恥ずかしかったけど、嬉しかったし。
学年集会で、みんなの前で作文を読んだのも、すごく照れくさくて恥ずかしかったけど、なんか楽しかった。

…だけど、この時のことがきっかけで、私は書くことを辞めた。
『もう、文章なんて書くもんか』って思った。

『母が喜んでくれる』と思って本を見せたら、逆に怒られて、『こんなに恥ずかしいモノを、たくさんの人に見せてしまった』という羞恥心でいっぱいになった。
当時の私は、いじめられてる子と仲良くしたことで、それに巻き込まれている状態だった。
もしかすると、みんなはいじめてるつもりはなくて無関心だったのかもしれないけど…、当時の私は、被害妄想が膨らんでるような状態にもなっていたんだと思う。
だから、そんな視線の中で作文を読まなきゃいけない状況は、地獄のようだった。
しかも、母に怒られて、自分が書いた文章を『恥ずかしいもの』と思いこんでる状態。

たくさんの感情が入り乱れていて…、自分でも気持ちが悪かった。

…それ以来、私は文章を書くことがなかった。
『私は文章を書くことができない』と思ってた。
そして、自分が手紙や作文を書くのが好きだったことも、作文が入賞したことがあったことも、全部忘れてた。


なのに私は、友達が「いつか本を書いてみたい」と言った時、すごく羨ましかった。『私だって…』って思った。

きっと、私の中に『文章を書きたい』『表現したい』みたいな思いが眠っていたんだろうなって思う。

ブログを書くようになってからも続いた、満たされない気持ち。もう1度、書いてみたい。チャレンジしたい。

今、私は、文章を書いている。
『これが上手な文章か?』と考えてみても、私にはよくわからない。

世の中には、もっともっと上手な文章を書く人はたくさんいて…。
もっともっと感情が豊かで、読んでるだけでもいろんな感情があふれてくるような文章を書く人もたくさんいる。
読んでるだけで、いろんなイメージが湧いてきて、いろんな気づきを与えてくれるような文章を書く人もいる。
読んでるだけで元気が出るような文章、くすっと笑えるような文章、悩んでたことがどうでもよくなってしまうような心救われる文章。

素敵な文章を書く人たちがたくさんいて、幸せな気持ちになる文章がたくさんある。

私が書く文章は、どんな感じがするんだろう?
上手に書けてるかな??

正直なところ、自分でもよくわからない。
私の書く文章を求めてくれる人がいるのかも、それが誰かの役に立てるかもわからない。

昔は、『ちゃんと誰かの役に立つものを…』って思って書いてた時期もある。
けど今は、『役に立つものを…』というより、自分が『書きたい』って思うものを書ければいい。そんな気がしてる。

…なんだろうな。
自分でもよくわからないんだけど…。
どうして今、こんなことを書いてるのかもわかんないんだけど…。
文章を書くのがうまいか下手かとか、誰かの役に立てるかとか関係なくてね。

文章を書くのが好き。
自分の思ってることを、自分の内側にあるものを言葉にするのが好き。


ずっとずっと、ずっとずっと思ってた。
自分が経験してきたことを書きたいって。

だけどずっと、書けなかった。
…何度もチャレンジした。書いてみた。
だけど、結果が出る前に諦めてた。
『私には無理だ』って思いこんでた。

だけど今、私は『もう1度書いてみたい』と思ってる。
自分が感じてきたことを、自分の内側にある世界を表現してみたい。
そして、私がわたしのままでいられる世界を、そういう関係性を、自分で作っていきたい。


それが、今の私の気持ちなんだなって。
書きながら、改めて思った。

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