言葉の魔力 心の持ち方は、言葉に規制される
ようやく選挙も終わったよ。親戚の市会議員の関係で、先週家の周りを 選挙カーが騒いで賑やかだった。ただ、どの立候補者も名前ばかりで、~ですとマイクで叫んでいるばかりで、何をするのか、内容がわからない。印象に残らない、へたな宣伝カーだなと思っていた。これは国としても同じで、へたくそな宣伝で、日本という国の存在価値を知らしめない、という連鎖になっている。そこで世界にアピールする要点の価値を、考えたい。このアホと思い勝ちな。前説で述べたが、外人と日本人の感覚の違いであろう。思考感覚である。これは、言葉意味の違いにより、思考形態も違うのではないか? 日本人日本語と外国語で訳しても、微妙に意味が違う訳しかたの苦しさから似た意味合いを、当てはめるという言葉を調べてみた。日本人は心が優しいとよく言われる、そこから思い着いた言葉が 思いやり だ (前節でその内容は書いた)早速調べてみた。孟子によれば、惻隠(そくいん)と辞譲 (譲り会う心)と近そうな言葉がある。しかし思いやりと微妙に違う。中国人は譲り合うのは、利が絡むのでは?思いやりと違うのでは? 惻隠は同情の意味で違うなあ???あちらの人は思いやりの気持ちはないのではないか、同情と行為の思考が別れるのではないか、この両方の意味合いを持つ "思いやり" という言葉は、なんと素晴らしいか! もう一つ恥じるはどうだろう、この言葉は韓国にもある。しかし、韓国の場合には、多くの事例で恥とは後者の「恥をかかされる」とする意味が強く、たとえば日本における「恥をかく」に該当するような事柄であっても、韓国では「(相手に)恥をかかされた」と表現される場合が多い。
このため、韓国では問題点の指摘や意見の対立による相手の間違いを指摘する行為が、「恥をかかされた」と受け取られることが多く、場合によっては「意見対立=侮辱」と判断される事もあり、トラブルの原因となる事もある。こうした言葉のニュアンスの違いは英語でもある。このデリケーな違いはその言葉によってその国の土壌に働き、国民の気質を決める。こちらにも、この言葉によって、日本人の心が育ったと、思います。心の持ち方は、言葉に規制される。
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