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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_36:赤坂宿

DAY 4 9:10_赤坂宿 2018.3.26の記憶

●赤坂はやっぱり夜の町だった

御油の松並木を通り過ぎると、すぐに小さな橋を渡ります。橋のたもとには、「生活道路につき一般通過車両の進入はご遠慮ください」の看板。

そう言われても、ここまで来たら県道だし、そのまま通ってしまいますよね

BMW i8での東海道五十三次の旅のとき、シレッと通過しちゃいました。なぜなら私道ではなく県道だったから。

しかし、今回は自転車なので遠慮することなく突き進みます。

赤坂宿は、『東海道中久栗毛』で弥次郎兵衛と北八が宿泊した場所です。当然、ふたりはここでもひと騒動起こしてしまうのですが、それはまぁ、おいといて。

弥次郎兵衛が、夕飯も済ませてしまってから、「やっぱり淋しいから飯盛女でも呼ぼうか」と北八に相談します。北八は、「もうこんな遅くだと、器量よしは残っていねえよ。ババァか、あばた面ぐらいなもんだ」と、こんなやりとりが行われます。

赤坂は、夜遅くまで騒がしく、毎夜同時刻になると向称寺が鐘をついたそうです。早い話が、「はーい、みなさーん、いい加減にもう寝なさーい!」という合図。

『東海道中膝栗毛』でも、婚礼の儀もあって、騒々しいさまが描写されています。つまり赤坂って、今で言うところの歓楽街で、イカガワシイ町だったということなのでしょう。

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