成田祐輔(漢字違う?どうでもよいけど

Re:Hack
ひろゆき&成田某vs小中高生20人
という動画を見てしまった。醜悪である。見なくてよい動画だったけれどもついうっかりと。

子ども
「老人は自害しろ」とよく某は言ってるけど、老人は実際退散した方がいいと思う。そう言う時に老人が自動でいなくなるシステムを作るとしたらどうやって作りますか?


未来社会像としてあり得るんじゃないかと思ってて、そういう映画があるんですよ、生まれた時にタイマーが付いてて何十年か経つと自動的に作動して亡くなる。みんな等しく寿命の上限が与えられている社会が一つ。
もう一つはサマーなんとかという映画である年齢になると崖から飛び降りる風習がある。
そんな感じの社会を考えるってのはできるんじゃないですかね。それがいいのかというとそれは難しい問題ですよね

AIが作った動画なのか、それともリアルで行われたのか。本当だとしたらこの子どもたちとは誰なのか?この動画はおそらく一部を切り取ったモノらしいので、果たしてこの前後はどのようなもので、一体誰が何の目的で設定したのか。

元々動画はXで見かけたのだが、コメント欄を見ると、

自分たちのおじいちゃんおばあちゃんのことを考えないのか

みたいなモノを目にしたが、論点はそこではない。

例えば森喜朗氏などが女性蔑視発言をした時に、または、女性への性犯罪が起きた時に

「自分の娘(や妻)に同じことされて平気なのか」

という言説を見つけることがあるが

違う。
違うのだ。

日本では自分の身に置き換えて考えることが推奨されるシーンが多い。「自分だったらどうだろう」と。

「自分がされて嫌なことは相手にはしない」
と。

一理ある。

だがこれでは不十分である。

他人の痛みは他人のもので、誰にも侵すことはできないサンクチュアリだ。凡人は無闇矢鱈に想像力を働かせて共感しようとしたり他人の気持ちになったふりをすべきでない。逆効果の方が多いからだ。

他人がすべきは、

相手がイヤだと言えばイヤなのだとただ肝に銘じるだけ。

優しさもそうである。
よく、店頭で「子どもたちが他人を思いやれるようになる絵本はありますか」と問われれば

・絵本は教科書ではない
・絵本「だけ」で人の心は育たない
・絵本は魔法ではない
・一冊の本で何かを解決できないからせめて複数冊勧めさせて
・そもそも優しさとは、思いやりとはなんだろう

という次々湧き起こる気持ちを表面には出さずに、なんとか落とし所を見つけて行く。

共感なんて、できると思わない方がいい。痛み度合いだってそうだ。「それくらいの痛みは我慢しなさい」ではない。相手が痛いというなら擦り傷も痛いのだ。

自分がやられていやなことは相手にもしない、のではなくて、相手が嫌だと言えば自分がされて嫌じゃなくてもしないのだ。一択。

想像力なんて、所詮はマルクスみたいな、泡沫のような幻想である(とか言ってまたマルクス信者に怒られる)。

だから、自分の祖父母のことを考えよう、とか、老人の気持ちになって考えようとか、そんなことは言わない方がいい。とにかく問題はそこじゃない。人権の問題であり、共感や置き換えでは本質を間違う。

🔸

某の言う「老人は自害する」という台詞、それを子どもたちが何か、さも新しいムーブメントとして捉え、旧人類の価値観を打ち砕き全能の神としての鉄槌を降すという病的な何かを信奉する様は、見ていてあまり気持ちの良くない絵面だった。

前述通り、論点は「自分に優しい祖父母がいてもそう言うことを言えるのかどうか」ではない。

humanrightsを、とことんまで曲解した人たちを見るにつけ、この国の人権教育というものは戦後間も無くに制定されたものを、なんとまあお粗末なまま70年もただ見過ごされてきたものだといじましくなる。安倍晋三氏の曰う憲法9条どころのいじましさとは桁違いだ。こちらの方がずっと深刻ないじましさである。

基本的人権とは、ロックやホッブスの天賦人権論に多少不完全さがあるにせよ(ロックさまになんてことを)、基本はここにあるとすると、日本の人権意識は遥か的に及ばないのではなく、的外れだと思うことしばしばである。

権利と義務がバーターなんて、どこで間違えたのか。

そして日本国憲法にもきちんと書かれているはずで、中学校程度で習うはず。「はず」というのは、それほどみんなと共有できていない気がするからである。

🔸

ところで、某の言う「老人集団自決」であるが、

男が女の人権を軽視するのはまだ理解できる。森喜朗は絶対に女性になることはない。それに障害者も、もしかしたらならないで一生を終える可能性は無くはない。(厳密には老いるというのはある程度の不具合が障害となるケースがあるが)だから、もう彼の人が自分が決してなることのない属性を貶めるのはまだわかる。一生そちら側にならない保証があるんだから。

でも、老人はいつか必ず皆が到達する道で、三浦雄一郎だろうときんさんぎんさんであろうと(古い)どんなに健やかに歳を重ねたとて、老境とは誰もが平等にたどり着く時間軸である。

タイマーで、何歳になると死ぬ仕組みだなんて、若くして病気や事故や自他殺で命を落としさえしなければ、誰もがその「何歳か」になるはずで、そういうことを言う人は、自分がその「何歳か」になった時どうするんだろう。それともならないなどと思っているのだろうか。

若者はいつか自分が歳をとって老いて死ぬことを、考え…ることは無理強いしない。そんなのは若者じゃないのかもしれない。物分かりが良くて妙に遜る若者より、とことん傲慢で身の程知らずで無鉄砲なのが若者の特権だし、そうして新時代を切り拓く連続が、所謂人間の進歩でではないか。

しかし某は違う。今40歳くらいらしい。世迷い事を口にして「若者だから」と許されるのはせいぜい20代くらいまでではないか。
経済学者だからといって人権は専門ではないと、そんな訳でもなかろうに。それに貴方は子どもたちと違ってあと数年で「自害する方」になるというのに?

それとも、この人は、「その歳」になっても自分は自害しないんだろうか。
なぜ?

もしかしたら現段階で「いや、僕はその歳になったら自害しますよ」なんて平然と宣うのかもしれない。

しかし人間、いざその時になってカッコよく三島由紀夫みたいな最期を遂げる人って意外と少ないのは過去の偉人伝にもある通り。

夏目漱石とか。

某のような言説は、「タブーに斬り込むかっこいい自分」に自己陶酔する愚か者の戯言。楢山節考にも見られる姥捨山系は目新しくもなんともない思想で、「旧体制を打ち砕く」というイノベーションでもない。ただの古びた人権侵害である。

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某は何やらテレビなどによく出ているらしい。学者の世界はさっぱりわからないが、経済学の分野は彼しかコメンテーターの資質を持つ人はいないのか、そんなに人材が枯渇しているのか。

経済学者に、恒久的な人権意識を望むことは、そんなにハードルが高いこと?学者になるなら人権なんてものは捨てないといけないのか。
予想するにこれからの時代は、それらを上手にバランス取って物事を進められるタイプの学者が脚光を浴びるようになる。某のようなタイプは、おそらく古びて行くと。彼の言う老害に、自分自身がなるのだと、そう言う新しい世紀に期待する。

キリンの広告にも出て、さらに打ち切りになるところまで眺めた。
頼むからキャンセルカルチャーなどと言う勿れ。
日本人なら知らない人がいないほどの大企業が打つCMに、なにも人権侵害の人を担ぎ上げることはあるまいに。

斬新さに、グロテスクを持ってこないといけない法律でもこの国にはあるのか?

それとも、陰謀論めいた政治絡みか。何せ、財務省広報に出ていたくらいだから。(農水省にも出ていたらしいが、百歩譲って財務省は分からないでもないが、なぜ農水省?専門家でもないのに?)

繰り返すが、これをキャンセルカルチャーと言わないでほしい。某をCMから降板させることは、キャンセルカルチャーなどという高尚な概念にも達していない。

分断を助長させる人を公の場に出さない程度の良識を期待したい。とはいえ世代間分断を煽って得をするのは権力者であるのだが。

それにしても、なんでもかんでもしゃしゃり出る経済学者が、子育ての悩みに回答したりして、ホント救いがない我が国のメディアよ。子育てもしていない経済学者如きに、子育ての何が分かるのか。
節操のなさに嫌気がさす。メディアが軽薄にもすべて似かよって、私の心の行き場を失ってしまう。

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