読書の自由
説教めいた絵本が増えている。
いや、ちょっと違うかな。
説明する絵本、全てを書く絵本?
文脈や行間を読むことを楽しめず、作者の意図する読み方でしか読めない、いわゆる不自由な絵本のことである。
例えば、
「パンツの穴が空いたまま履き続ける女」
と書くとどうだろう。想像してみて。
だらしない
勇気ある
男に媚びない
雑
などの性格的な想像したり、
セックスしない
泊まりがけで温泉に行くような友人がいない
一人暮らし
貧困
と状況を読んでもいい。
この、穴が開いてもパンツを履き続ける女、という言葉から、様々な想像ができる。ああ、いい言葉だ。
文章はそこが魅力なのである。隠された背後を読むにあたり、誰一人として同じ読み方はしない。(できない)。説明しすぎる絵本はもはや、みんなを同じゴールへ導くことしか目的にないから、魅力に欠ける。そう、絵本ではなく、ハウツー本に過ぎない。宗教本とも言っていい。
「悲しいと思った」と書くより、俯いた顔に影が落ちたとか、電車を一駅乗り過ごしてしまったとか。「神経質だった」と書くより「常に人が触ったところを拭いていた」とか。
いやそれがよいのかはわからない。
書いてはダメということでもない。
しかし、元々人間というのは多様なもの。ある人を一つの形容詞で表現できるものではない。みんなが、その人の行動振る舞いから、想像するものなの。だから、藪の中みたいなことも起こるし、「悪女について」有吉佐和子みたいなことが文学として成り立つ。あれは面白かった。
というわけで、すべてを語る絵本はなんだか、押し付けがましくて嫌なのだ。私の頭の中は、自由なのだ。
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ちょっとずれるが、安倍晋三氏を思い出す。
彼は「スピード感を持って感染症対策を行う」「責任を感じる」などと言うけれど、
スピード感は既成事実によってこちらが感じるべきものであり、首相が言うことではない。
責任は態度を持ってこちらが判断することである。責任を負う側が言うことではない。
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こちらの気持ちを決め打ちしてしまう愚行。思考の押し付け。
前者と後者は、ま、浅はかと言う点では共通しているかな。
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