絵本が一つの業界として

働き方は自在であるべきだし、市場の流動性は一定のレベルで保持されることが望ましい。
新卒採用の会社に定年まで勤めなくても転職をしてスキルアップするのも良いし、サバティカルなどももっと進むとありがたい。(非正規雇用は現段階の日本式はいただけないが、この制度自体は良いものであるから、法整備をどうにかしたいところ。)

働き方の多様化は私も大歓迎であった。
しかし90年代ころから続く政策を繋いで行くと、やはり日本は常に道を誤って来たのではないかと思うのである。もしかして萌芽はもっと前からだったかもしれないけれど。

日本独自の新自由主義をゴリゴリ推し進めてきた。本家(?)アメリカの真似っこをして。いや、今思うと、アメリカの言う通りに、なのかもしれない。

その数十年後、やはりアメリカとは異なる新自由主義に塗れて、日本市民は多数が人権を奪われてしまったし、今後もますます失われて行くだろう。

ネオリベラリズムと言っても、アメリカとは市場の委ね方が、違う。
市場に丸投げの結果、今のこの凋落がある。

大黒柱になって定年まで勤める覚悟を持たずに働く人「ばかり」の職種は、先細る。低賃金化していく。さらに専門性も失われる。

まさに、絵本業界の話。

絵本界隈は、ボランティアや有志や情熱で成り立っている。
書店は金持ちの道楽か、本当の本好きか、趣味程度でやるしかなくなる。

出版社や作家も、片手間にちょっとしたアイディアで本を出すかのよう。
専門でないから、当たり前だ。誰も出版の明日なんて興味なく、作家は今自分の本が出ればそれで良いみたいに見えるし、編集者は社内政治に余念がないから本の中身はどうでも良いみたいだ。

それが、10年、30年、50年経つとどうなるのか。

生き残りをかけて、海外進出を急ぐ出版社。

それが、今後、絵本の歴史にどう影響するのだろう。

それを真面目に一本線で考える人がいるんだろうか。

絵本についてたまに批判的な意見を目にするが、一冊の絵本についての中身や編集者への意見ばかり。

そうでなくて、もっと根本の、日本式neoliberalismというところに釘を刺して行かないと。
日本式ネオリベラリズムとは、所詮、絵本業界からすればマイナスにしか働かない構造のことだ。こんなのに任せていては、何も起きないどころか、どんどん「どうでも良い業界」になって行くばかり。

絵本を一つの業界として、成り立たせたい。それは、前述の通り、専門性が失われればもう、よい絵本なんて生まれなくなるから。

良い絵本が生まれ、子どもたちがそれを読めるような社会を私は望む。
働き手はきちんと大金を手にして、専門的な仕事として成り立たせなければならない。生活が不安定では、安心して働けない。

そのために、何ができるのか。
取り急ぎ、裏金で騒いでいる人たちを、選挙で落とすのが、多面的な意味で割と良い道だと思うのだがどうだろう。あの人たちとネオリベラリズムとは、親和性が高いのだから。

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