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アウトソーシングを目指して

東京コンサル 代表取締役 壬生米秋


■思い起こせば長いようでもあり、一瞬のことのようでもあります。

■あれは1983年10月17日の朝8時、プリント基板メーカーH社の応接室でのことでした。管理本部長が経理部長を伴って現れると開口一番「IBMシステム34を使って年内に経理の電算化をお願いしたい」という常軌を逸した依頼…。

■その依頼内容に私はただただ驚くばかり。すぐにH社を紹介してくれた中堅F監査法人の代表にお断りの電話を入れたものの「そこを何とかしてほしい」との一点張りで、取りつく島がない。ついに根負けして承諾すると、その日のうちにシステム設計に入りました。経理部長の「失敗したら私の首が飛ぶ」という言葉に追われつつ、何とか無事に間に合ったと一息ついた時には除夜の鐘が鳴っていました。

■それから1年後、またも別件で緊急の呼び出しがかかりました。今度の依頼主は東京証券取引所上場審査室でした。審査官から話を聞くと「1ヶ月以内に7000点の機種別原価制度を確立してほしい」とのことでした。

■いずれにしても双方ともずいぶん昔の話です。現在、H社は海外4カ国に展開していますし、上場審査官は既に退官されてコンサルティング会社の社長として活躍されています。時が経つのは早いものです。

■1994年は、私の転機でした。「そろそろ独立したらどうだ?」という上司の一言から3ヵ月後には弊社を設立していました。早速、当時、中国の経済特区であった深圳 に飛んでいました。そこで上海交通大学の企業財務会計学のテキストを見る機会に恵まれ、その時から他通貨会計論など中国の会計制度に興味を抱いていたのです。

■当初は発展途上である中国の会計制度よりも日本の会計制度の方が優れていると思っていたのですが、研究が進むにつれて中国の会計制度自体が、既に国際会計基準を前提として体系化されているという全容が理解でき、愕然としました。

■中国の街の文房具屋に並んでいた仕訳帳は、何と他通貨処理を前提とする両重計算の様式であり、記帳の仕方について深圳 海勤達会計師事務所の陳注冊会計師に教えていただいた日々は新鮮そのものでした。

■その後、陳注冊会計師とは合弁会計師事務所を設立することになり、さらに沿海を北上して北京会計事務所とも業務提携するようになりました。弊社のコンサルティングのひとつに「他通貨会計システム」が含まれているのは、こういった背景があってのことです。

■一方、弊社の第1号のお客様の依頼は「管理部門のアウトソーシング」でした。単純に会計事務所の記帳代行と思って始めたのですが、それは大きな間違いであることに気がつきました。機密保持の問題ひとつとっても実に奥深く、国際会計基準など常に研究し続けなければならないことを痛感しました。またアウトソーシングの目的はコストダウンにあると考えていたため、ITを駆使することが、お客様の期待に応えることになります。

■アウトソーシングのIT環境整備に関しては、いろいろな方のご指導を仰いでおり、大変感謝しております。米国のアウトソーシング史を見ても、広範囲な業務処理代行とコンサルティングが融合した振るアウトソーシングのニーズが高まってきます。理由は、調整コストの削減にあります。そんななか、弊社は常に管理部門フルアウトソーサーのトップを目指しています。

■時代の流れは加速度的にスピードを増しています。環境変化によって生じる様々な問題を実務的に解決し、お客様に満足していただけるようにコンサルティングであれ、アウトソーシングであれ、アジル(AGILE:俊敏)カンパニーでありたいと願っています。

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