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いただいたテーマでやる回 07

◆芸人の恋人

「ライブあるから」と言って喫茶店を出て行った彼女は、自分が飲んだウインナーコーヒーの会計も当然のように支払わなかった。


一般企業でメーカーの営業をしている自分にとって、女性芸人と呼ばれる女性と出会う事も、交際する事も、全てが非日常的で新鮮といえば新鮮だった。

交際している女性がテレビに出るという経験などかつてしたことがなかったし、画面に映る女性芸人が、自分の横で真剣な顔をして番組を見ているのは変な感覚だった。
深夜に突然思い立ったようにしてファミレスに行く事も不思議だったし、オーディションに落ちてテレビ番組に出られないと落ち込む彼女に何と声をかければよいのかもさっぱり分からなかった。自分からすれば、テレビなど出られなくて当然だけれど、どうやら彼女は違うらしかった。
リビングで肩を落としている彼女にコーヒーを淹れてやり、ようやく「俺はテレビに出たい気持ちは分からないけど、一生懸命やったからいいじゃん」と言うと、彼女はぱたりと止まり「は?テレビに出たいんじゃなくてまた認められへんかったんが悔しいだけやねんけど、わかったくちほざけ」と言ってそのまま家から出て行った。彼女のために淹れたコーヒーに、彼女が使わない角砂糖を入れて自分で飲むのはよくあることだった。


彼女は自分との時間を過ごすことに対して消極的だった気がする。
休みの日に会う約束をしていても、約束の時間に「ごめんいまおきた」と連絡がくるのは当然だったし、「こんな時間に起きるなんて昨日何してたの?」と聞くと、朝までファミレスおった、と悪びれもせずに言っていた。
自分からすれば、約束の前の日くらいファミレスを控えてくれてもよいのではないかと不満があったが、それを言っても「そうやねんなあ」とのらりと言うだけで絶対に改める事はなかった。

会話中に突然「あっ」と言ってメモに何かを書き込んだりして、何待ちか分からない時間が発生したりすることも常だったし「こういう設定思いついてんけどどう?」と聞かれた際に素直に思った事を述べると「ああ」「うーん」「なんかそういう事じゃないねんけどな」「やっぱええわあ」と、勝手に尋ねてきておいて勝手に突き放される事もたびたびだった。
彼女のライブ終わりに食事の約束をしていても「ごめん打ち上げ行く流れや」という素っ気ないラインひとつで破られる事も多々あった。
業を煮やして、俺といる時間って楽しいの?と聞けば、必ず「楽しい」と言っていたけれど、ライブから帰ってきて「今日ね、」と、芸人さんたちのことを話す時の方が楽しそうだった。


自分がスニーカーを買った際に、そのスニーカーの箱を小物入れに使用していた事があった。
家に来た際それに気付いた彼女は「なんこれ」と笑っていて、後日彼女のライブを見に行ったら、トークコーナーで先輩に向かって「どうせお前みたいなやつはスニーカーの箱を小物入れにしとるやろ」と言っていた。その先輩は「どういう偏見やねん」と返していてみんな笑っていたけれど、なにか、自分だけは、うまく笑えなかった。
その旨を彼女に伝えると「いやおもろかったから言うただけやん、何がそんな嫌なん?」と、むしろ呆れたような調子でそう言ってきた。
自分がお笑いの世界のことを分かっていないだけなのかもしれないと、断ち切るようにそのことを考えるのをやめ、そしてやめた頃から、休みの日に作ったのだというパンやケーキを差し入れてくれていた職場の後輩の女性との会話が増えてきていた。

職場の後輩は彼女とは全くタイプの違う女性で、ちょっと押せばどこまでも飛んでいきそうな、かろやかでやわらかそうな女性だった。
背が低くちょこまかと動き回り、少し話すたびにきゃっきゃと笑い、さすがとかすごいとかやばいとか、そんな言葉を目をまん丸くしながらよく言っていた。
ああこの子と話すのはとてもらくで、楽しいと、そう確信してから、少しずつ、彼女に今日は仕事だと言ってその子と会うようになっていた。

その子は、薄汚れたジーパンではなくひらひらしたスカートを履いて必ず約束の時間にあらわれていたし、喫茶店でコーヒーとたばこをがばがば飲むのではなく、かわいらしいモンブランを大切そうに一口ずつ食べていた。
映画を見て感想を聞くと「なんや台詞がさむくてきつかったのう」などという乱暴な意見で水を差してくることなく、何を見ても笑ったり泣いたり驚いたりして「楽しかった」と言うその子に、とてつもない安心感を覚えるようになっていた。


「こないだの日曜なにしてたん?」
久しぶりに彼女と会って焼き鳥屋に行き、ビールを何杯か飲んだ頃、唐突にそう言われた。
こないだの日曜、と、ふと振り返って「仕事だったよ、言わなかったっけ」と言った。
「仕事って門仲まで行ってたん?」
「そうそう」
「家で仕事してたわけじゃないんや、大変やね」
「そう、日曜だからランチどこもやってないやつだよ」
「そういうのって何て言うん?休日出勤?」
「うん、休日出勤。最近多いんだよ」
「それって嫌やって言われへんのや、絶対しなあかんの?」
「絶対ってことはないけど、先輩とかも出社してるから行かないと気まずい感じだよね」
「終わって先輩がめしおごってくれたりするん?」
「ないよ、普通に10時くらいまで会社で仕事して、そのあと帰ったもん」
「渋谷で見たけど」
「えっ?」
「渋谷で女と歩いてるの見たけど。五時くらい」

彼女が真顔で、こちらを見つめながら焼き鳥を食べている。睨みとも怒りとも適合しない、真顔で、こちらを見つめている。全身の血がさっとひくような感覚だった。
日曜日、自分は、職場の後輩の女性と渋谷にいた。彼女は新宿でライブだと言っていたので渋谷にしようと言ったのだが、渋谷でライブだったのだろうか、自分の聞き間違いだったのだろうか、彼女に見られていたとは到底思っていなかった。

「見間違いだと思うよ」
「そう?めっちゃ同一人物やったけど」
「いや、仕事してたから」
「そうやんな、ほなGPS見てもいい?」
「GPSって何?」
「iPhoneに入ってんねんGPS、日曜は門仲の履歴が残ってるやろうからそれだけ見してくれへん」

GPSとは一体なんなのか。アプリなのかiPhoneの設定なのか全く分からない。しかしとにかく見せたらバレる。見せたくない。
「見して」
「いやそういうのは」
「私な、見てん、渋谷におるの。確実に見た。もうこの時点で認めて謝ってくれると思ってたけど」
そう言って彼女はたばこに火をつけ、すうーと息を吸った。頭上にゲームオーバーが降ってきたような感覚だった。

ごめん、と言って、事の顛末を全て彼女に話した。
彼女は少し黙ったあと、職場の後輩に電話をかけてほしいと言い、言われた通り電話をかけると「彼女です、全部聞きました。こいつが全部悪いけど、君もこいつに彼女おるって知ってたんやんな?ほな君もあかんよな?二度と彼女おるやつに我がで焼いたパンなんか食わしたらあかんで、それ誘ってるわ、え、誘ってない?ほな教えとくわ、それな、誘ってんねん。慎まなあかんで、誘ってるからな。年頃の女が、我がでパン焼いて、年頃の男に渡すのは、誘ってます」などと一方的にしゃべり、電話を切っていた。

そのあと彼女は「一緒にいて楽しいと思う人なら他にもたくさんおるけど、義弘と付き合ってたんは人を騙したり嘘をつかんところが良いと思ってたから」と言った。

渦巻くいろいろな言葉をしばらく選べなくて、ようやく、俺だけが悪いの、と、言ったけれど、彼女は意に介さないようにテーブルの上にある全てのものを猛スピードでたいらげて「あと、モニタリングみて爆笑してるとこもなかなか良かった」と言ってから一人で店を出て行ってしまった。モニタリング、と、思った。


後日、彼女がうちに置いていた荷物を返して欲しいというので、駅前の喫茶店で待ち合わせをし、自分が彼女のぶんの荷物をまとめて持って行った。
待ち合わせ時刻よりもだいぶ遅れてやってきた彼女はウインナーコーヒーを頼み、すぐにたばこに火をつけた。それから「ほんまは渋谷で見てないねん」と言った。
「え?」
「新宿でライブやったから。渋谷で見てない」
「じゃあなんで?」
「なんでやろな」

彼女は好戦的に見えた。そういえば彼女はつねに好戦的だったかもしれない。
それからウインナーコーヒーを雑に飲んで早々とたばこを吸って「ライブあるから」と言って早急に席を立った。
たくさんの荷物を抱えた彼女に「それ持ってライブ会場に行くの?」と聞くと「関係ある?」と言っていた。
当然のように会計を支払わずに出て行った彼女の後ろ姿、ばさばさに広がった髪、薄汚れたパーカーにジーパン、だらしなくほどけた靴紐を見ながら、一体こんな女の何が良かったのだろうと、魔法の解ける思いだった。


数年後、たまたまテレビで彼女を見かけたので嬉しくなり「久しぶり!元気?テレビ見たよ!頑張ってるね!」と連絡をした。
すると彼女から「どしたん?」と返信がきた。
「どうしたとかっていうか、元気かなと思って。また飲みに行こうよ!」と返すと「なめとんの?」と返信がきたので、怖くなってブロックをした。



※いただいたテーマ「芸人の恋人」でした。
「芸人の彼女にならない方がいい理由」とか「芸人に恋すること」など、ほか似たような、なんともラジカルなものをいくつか頂きましたが、まとめてこれとさせて頂きました。
これらについて垂れるほどの考えも意見もなかったのでこういう風にしました。書いてみてまじで申し訳なくなりました。なんなんこの女。イキってウインナーコーヒー飲むなや。明日も更新できればよいです。

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