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わたしがテレビを持たない3つの理由

わたしはテレビを持っていません。主な理由は3つあります。

①道徳的に腐敗している内容が多いうえに、偏向報道が多い。
②受信料を払ってまで観たいとは思わない。
③読書や会話の時間が奪われる。

①道徳的に腐敗している内容と偏向報道


この傾向はテレビだけではなく、他のエンターテインメントにも見られます。そういう意味では、テレビ以外のメディアにも注意深くなければなりません。ただテレビは、ふつうにだれでも見られる番組に性的描写、暴力シーン、汚い言葉、そして特定の考え方に誘導するようなプログラムが多々紛れ込んでいるため、テレビそのものを持つか持たないかと考えた時、持たないことを選びました。実は、テレビを持たなくなったのは、高校を卒業して、大学に入学して、一人住まいになった時なので、もう40年になります。こんな話をすると、年が分かってしまいますね。

テレビを捨てた女性

まあ、わたしの年齢はどうでもいいとして、その頃すでにテレビは道徳的に腐敗している内容で満ちていました。もちろん、すべての番組がそうであるという訳ではありません。中には啓発的な番組もあります。でも、全体的には頽廃しており、偏向報道が多いことは変わっていません。

②受信料を払ってまで観たい、持ちたいとは思わない


受信料はルールとして存在していることですので、それが妥当であるかどうかはここで論じません。受信料の支払いを拒否することを勧めるとか、そういう政党を支持している訳でも、もちろんありません。ただ、①で述べたようなコンテンツを流すものに年間少なからぬお金を払いたくはありません。しかも今のルールでは、NHKを全く見なくてもテレビを持っていれば契約の義務が生じます。ですから、受信料を支払いたくないなら、今のところテレビを持たないというのが、最も有効な方法です。無駄なお金を払うことほど、ストレスを感じることはありません。これが、わたしがテレビを持たない2番目の理由です。

③読書や会話のための時間が奪われる


読書や会話はわたしたちの精神生活にとって、とても重要な役割を果たしています。聖書を読んで、黙想することは神様のお考えに耳を傾けることですし、上質な読み物はわたしたちの健全な想像力を育ててくれます。家族の会話がお互いを理解するうえで重要なのは言うまでもないでしょう。テレビを見る習慣は、読書や会話のための時間を奪ってしまいます。

テレビ、新聞などのメディアと政治を操って来たのが、特定の宗教組織だということが明らかになってきました。その流れが今後、どのように進展していくのかを注視してきいます。しかし、テレビを持たないわたしは、その進展をテレビの報道やバラエティー番組から知ろうとはしていません。むしろ、聖書預言とその成就に目を向けています。案の定、これまでメディアと政治に強い影響与えてきた宗教組織のことは、あまり取り上げられなくなりました。テレビなどのメディアに自浄作用がないことは明らかです。

テレビを持っている人、観ることを楽しみにしている人を非難するつもりは全くありません。わたしも子供の頃はプロ野球、ドラマ、歌番組などをよく観ていました。ただ、今そのような番組を観なくても全く不便を感じないし、害もあるよということをお伝えしたかったのです。

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