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【自分の信じた道を進みなさい】前編

河瀬 謙介

関西の有名サロン「Lee」社長。

2000年ヘアメイクリーの統括技術部長に就任。トレンドを生み出す高い感性と広い視野、秀でた技術力を用いたトータルなクリエイティブワークは、美容業界のみならず多方面より高い評価を得る。
2011/2012/2013millbonデザイナーズアビリティ3年連続受賞。
神戸コレクション、TOKYO GIRLS COLLECTION、TOKYO RUN WAYなど
各コレクションでモデルのヘアメイクを担当。PWS photocontestほか受賞歴多数。
また、YouTubeでカットレッスン動画を配信し、チャンネル登録者数は15,000人を超える。(2019.05現在) 

 

華々しい実績をお持ちの河瀬さんですが、ここに来るまでの道程は決して平坦ではありませんでした。

壁にぶつかり、乗り越え、進み続けてきた河瀬謙介さんの人生哲学をこれから美容師になるあなたへお届けします。

【美容師としてのスタート】

ぼくが美容師になった経緯は、“勉強より違うことがしたかった”から。(笑)
(美容学生に言えるようなもんじゃないね。笑)
絵描きさんとか美大にも惹かれたんだけど、当時は今みたいにグラフィックデザイナーとかの職種もメジャーじゃなかったし、そっちで食べていく術がイメージできなくて。
そんな時、友達が理容師になりたいって言っていたのを聞いて、僕も「あぁ、理容師いいかもな」ってふと“直感的”に思ったの。
でも、よくよく考えると毎日おじさんの髪切るのはイヤだなと思って、それなら「美容師にしよう!」と。
その後、美容学校をいくつか見学する中でトーアが一番しっくりきて。
たぶんその時トーアが一番オシャレに見えたんだと思う。
(河瀬さんは高校生のときからすでに金髪でした。)

でもいざトーアに入ってみて、まず抱いた印象は、
「え、勉強しないとあかんねや…」ってこと。(笑)
(勉強しないでいいと思って美容学校に入ったのにね!笑)
国家試験に受かるということがまず大事なハードルなので、そのためにもやっぱり勉強は大事なんですよね。


【やってみて、わかること】


学科試験を経て、インターンとして初めて入った美容室では、あんまり憧れる先輩がいなくて。(笑)
早くスタイリストになりたい一心で練習しましたね。

始発で行って練習、お店の朝練でも練習、さらに営業後の決められたレッスンを受けた後も練習しました。
それは定休日でも変わらず、毎日、毎日、お店で練習を重ねました。
そして、研修サロンでも何ヶ月かお客さんの髪を切らせてもらって、10ヶ月後、スタイリストになりました。

でもね、スタイリストとしてデビューしても、あまりお客さんは付かなかったんです。
なぜなら、技術しか練習してこなかったから。
「高い技術がある」というのと「売れる美容師になる」は、イコールではないんですね。
今なら分かるけど、技術だけではダメなんです。
「聴く力」や「聴き出す力」そういうものも大事なんですよね。

【環境を変える】

技術を高めても売れないと分かったから、美容師を辞めイギリスに行きました。

当時、自分の中で“こうなりたい!”っていう憧れの人がいなかったので、スタイリストにはなったけど、「俺はどこを目指してんのかな…?」って自分の進む方向が分からなくなって。
それでお店を辞めて、イギリスに行きました。刺激を受けに。(笑)
イギリスを選んだ理由は、当時、ヴィダルサスーンの技術を練習していたこともあって、「よしっ、ヴィダルサスーンの本場に行ってみよう!」と思って。

イギリスはね、やっぱり行って良かったです。
ヴィダルサスーンも良かったし、イギリスと日本ではお客さんと美容師の関係性の違いがあって。
日本はどちらかというと、“お客さんのしたいことを聞いてそれを叶える”スタンスが多いと思うけど、イギリスは日本よりもっと“美容師主導”な感じで。
「あなたはこうだよ!」って美容師が勝手に決めて、勝手に切る!みたいなところがありましたね。(笑)
でも、1年近くいて、“本場のイギリスともそんなに差はないんだな”とか、“技術は日本人の方が上手だな”って思うこともあって、自分なりに満足できたので帰国しました。

21歳くらいになってたかな。

【一点集中 〜売れる美容師になるまで〜 】

帰国してからは、もう美容師せんとこうかな…って思ったりもしましたが、
「やっぱり美容師しかできないな」と思って、求人情報誌を見てLeeに入りました。
Leeに入って今年でもう20年です。

Leeに入った当時、「憧れるような先輩はいたか?」と聞かれると、いなかったんですけど。(笑)
でも、「そういうの、もういいわ」ってなっていました。

入った当時は、欲とか野望みたいなものもなく、日々淡々とやっていましたが
やっぱり売れなかったです。(笑)
それで社長に、「誰もおまえに切ってほしいと思ってないよ」、「今のおまえは思われてないよ」って言われて。それくらい売れていなかったんです。
でもその時ですかね、社長の言葉でスイッチが入って。「結局この課題はいつもでるな。どんなに上手でも、とにかく売れなきゃ話にならん」と思って。
それで、
「一番売れている美容師になってやろうって!」って思ったんですよね。

そう決めると、一番になっている人に教わるのが早いなと思ったので、その時グループで一番売れている人のお店に行きました。
その人は僕より年下の女の子でしたが、普段どういう風に仕事をしているのか、お客さんにはどういう風に対応しているのかなどを教わりに行きました。

それで、まず、一番の人がやっていることと、自分がやっていないことをノートに全部書きだして、次の日から全部マネをすることにしました。
マネをするのが一番身に付くと思ったので。
そして、「お客さんに対してこういうことをちゃんとやろう」ってことを全部箇条書きにしてワゴンに貼っていました。
常に意識していないと忘れちゃうのでね。

そうやって一番になるために必要なことを教わる中で、「当たり前のことをちゃんとする」ということの大切さを学びました。
“お客さんの話をちゃんと聴く”、 “笑顔で接客する”とか、当時のぼくはその当たり前のことができていなかったんです。

それを続けて半年後に一番になりました。
この半年は1日も休まなかったです。
一番になるには数を入ることも必要なので、半年間、毎日切りました。
それと、この半年間は金髪も封印していました。(笑)
やっぱり初対面で金髪だとちょっと「おっ…」てなるでしょ?
だから、第一印象が良くなるように心がけて、髪も黒くして、ちゃんと毎日アイロンをかけたパリっとしたシャツを着て。
これも一番になるためなんで!!

そうして一番になったら、もういきなり短パンですよ。(笑)
髪は金髪に戻して、服はTシャツ。
「もういいでしょ?ホントはこんな感じなの」みたいな。(笑)

【まだまだ上がいる】

そうしてLeeで一番になっても、社長に「まだまだ上には上がいるぞ」って教えられて。
美容師ランキングではまだまだだ!って。
それで、いろんな人に会わせてもらったり、紹介していただいたりして、
「はぁ、自分のレベルはまだこんなもんですか…」って気付かされて。
一番になったからこれでいいとは思わなかったです。

その当時、まだ20代前半で、このあとの20代後半は調子に乗っていました。(笑)
けど、調子に乗っていると足元をすくわれますしね。
「周りの人たちのおかげで成り立ってるんだな」ということもその時、学びました。



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