亡くなっても誕生日は誕生日。

私は小さい頃おばあちゃんっ子であった。

父方の祖母にあたるのだが、父は男兄弟で、初孫の私が女児であったことから他人目線はどうであれ祖母の目には初孫の女の子は大層可愛く写ったようで、だいぶ私を甘やかしてくれた。

一緒に住んでいた訳ではないが歩いて数分の所に家があった。

甘やかされていた為、幼少の頃の私はよく悪知恵を働かせていた。

母の勧めでそろばん教室に通っていたが、非常に面白くなく、そろばんに行ったフリをして祖母の家に行き、何も知らない祖母とおやつを楽しく食べていた。それが何度か続くと勿論そろばん教室から自宅へ連絡が行き、母から「娘が行ってませんか?」となる。そしてサボっていた事がわかり母から大目玉をくらったりもした。この経験から中学生へなる頃、今度は塾へ行かされたのだが、こちらもまた行くのが億劫だった為、祖母の家へ行き夕食を食べる。本当はこのまま塾へ行きたくないのだが、休むと親へ連絡がいくというのがそろばん教室での経験からわかっていたので、バレない程度に遅刻して行った。当然成績は上がらなかった。だが、祖母は私が幼稚園児のころ祖父を亡くし、独り身で住んでいたので孫の私が来て一緒に食事をするのが楽しみだといつも歓迎してくれたのだから習い事をサボることも無意味だった訳ではなかったのだ。

今日はそんな祖母の誕生日である。

亡くなった日よりも生まれてきてくれた日を思い出すほうが個人的には好きだ。亡くなった日はしんみりするが、誕生日は生まれてきてくれたから今の私が存在する。そう思うとなんだかしんみりも明るく感謝しようと感じられるからだ。

私は今日のこの日を覚えているのだが、恐らく実の息子の父は覚えていない。父自身の誕生日には自分自身でカレンダーに『父誕生日』と書いていると母が言っていたが、他の身内の誕生日や命日を覚えている事は稀である。いちいち誕生日まで覚えてないよ。と言う人もいるだろうが、父は命日も「今日は何の日だ?」と聞いてもあまりピンとこないのだ。なので、2日後の自分妻の誕生日かと首をかしげることもある。

祖母の誕生日、家族揃って食卓を囲み「皆で食べるごはんは美味しい」と祖母は笑っていた。1日くらい思い出してくれたらいいのに。と娘は父に思う。

もし今も生きていれば96歳。今頃あの世が存在しているならば祖父と2人仲良く誕生日祝いをしてるのであろうか。まだ恐らくあと数十年、祖母に会う事はないと思うが、私は孫で良かったなと今年も思う。


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