うちのじいちゃん

うちの爺ちゃんはとにかく破天荒。

孫(私)の事が大好きで、面白くて自由で適当で小卒で大人になって勉強して、小さいけど自分の会社を持ってた。

頭の中は昭和初期のまんま。

私が行きたいって言ったラーメン屋には着いてくる。

でも自分の好きなラーメン屋以外は、美味しくないって言う。

店員さんにも言う。

小さい頃はそれがとても嫌だった。

釣りに出かけると、エサを付けてないのに爺ちゃんだけ釣れる。

なんでか不思議でたまらなかった。

鯵は馬鹿だから、エサと針を間違えて釣れるんだやー。

って言われても私は釣れない。

エサはくれない。

一方通行の道を進みたいように進む(皆さんは真似しないでね)

一方通行だよ!って言うと昔は一方通行じゃなかったと言い訳する。

狭い道でもスイスイ入ってく(ダメ絶対)

このカーブぶつからずに曲がれるのじいちゃんだけーって自慢する。

70過ぎてもポテチとステーキが大好きで、毎晩飲んでタバコ吸ってる。

糖尿病だからお菓子は止めてと言われると、孫が食べたいって言ったから買っただけと言い訳する。

うん。言ってないよ(笑)

車の調子がおかしくてエンストすると、道路の真ん中でも修理しちゃう。

機械屋さんだから、修理ぐらい出来ちゃう。


そんなじいちゃんが倒れた。

仕事中に、脳梗塞だった。

左半身麻痺が残って、ボケも併発してしまった。

麻痺してて車椅子が上手く進めないのに、修理するからドライバーもってこいと言う。

そっか。そうだね。じいちゃん何でも直せるもんね。

爺ちゃんを施設に入れたけど、麻痺してるのに隙を見ては車椅子を動く足で地面を蹴りながら脱走する。

リハビリもやってらんないと看護師さんに八つ当たりする。

そんなこんなで施設から拒否されたのだ。

家に連れて帰ってきて介護が始まった。

しかしどんどんボケてくる。

私は楽しくボケと付き合うことにした。

孫だから出来たのかもしれない。

スズメをみてチュンチュンと呼ぶ。

テレビを見て突然お母さーんと泣き出す。

(爺ちゃんのお母さんは戦時中に亡くなってます)

麻痺してて動けないのに動けると思ってベッドから落ちる。

じいちゃん1人ではもう立てないよ。

大便を漏らしたのをお風呂に入れた事もある。

家での介護も24時間体制(ベッドから落ちたり、泣いたり叫んだり)で家族も辛くなり、もう一度施設に預けることにした。

毎日お見舞いに行った。

そしてどんどん記憶がなくなり、最後には大好きだった私の事を忘れた。

着替えを持ってきてくれる看護師さんだと思ってた。

うちの嫁がなんにも出来なくてすみません。

と謝ってくれた。

いいえ、大丈夫ですよ(営業スマイル  内心どうしようってドキドキ)

と看護師さんになりきった。

涙が出そうだったけど笑顔で答えられた。

それがじいちゃんとの最後の会話だった。

じいちゃんは病院で亡くなった。

朝ごはんを食べて、リハビリをして、お昼ご飯を食べて、お昼寝してそのまんま。

本人は亡くなったことに気づいてないかもしれない。

ご飯も食べてお腹いっぱいになってお昼寝してただけだもんね。

最後くらい分かってたら大好きなポテチとステーキ食べさせたかったな。

苦しまなかったのが、良かったと思うことにした。

そんなじいちゃんが、子供を産んだ後夢に出てきた。

あたしの知ってる元気なじいちゃんだ。

おう!子供産まれたんだな!

真っ直ぐ元気に周りに影響を与える子に育てろよ!

子供の名前の由来を知っててくれた。

夢は私の見たかった妄想が夢になったのかもしれない。

でもじいちゃんが、全部分かっててくれた気がして、泣きながら起きた。

じいちゃん。私は元気だよ。

爺ちゃんみたいな怪獣と毎日格闘中だよ。

爺ちゃんとの楽しいエピソードはまた、思い出しながら書こうかな。

大切な人を最後まで家でって思っても、どうしようもない時もある。

これから先、寿命が長い人の生活を大切にと言われた。

なぜ、面倒を見るのは同じなのに子育てと介護は違うのか。

何かで読んだことがある。

子育ては教えるほど覚えて成長していく喜びがある。

介護は、教えても教えても数時間後には忘れていく。

介護疲れになる前に誰かに助けを求められたらいいな。

それは子育ても一緒だな。

じいちゃんの介護してたから、子育てもやばいって思った時に助けを呼べたのかもしれない。

頑張ろう。

元気なじいちゃんに1回でいいから会いたいな。





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