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回れ支援の輪~災害ボランティアバス体験記~(上)

体張って震災時の恩返し

3社協共同 能登に市町民派遣

 石川県能登半島で元日にあった地震から半年。同県だけでも約8万6千棟の住家が一部損壊以上の被害を受け、関連死を含めて約300人が亡くなった。現地にはさまざまな支援が入っており、約13年前の東日本大震災を経験した石巻市、東松島市、女川町の3社会福祉協議会(社協)も6月28―30日、共同で志賀町に恩返しのボランティアバスを派遣。実働は一日だけながら、志願した市町民が被災した家財や瓦、塀の撤去などに汗を流した。私もバスに乗り込み、微力を尽くしてきた。=3回続き=。【熊谷利勝】

 2市1町から私を含む25―77歳の男女19人が参加し、各社協職員4人が随行した。活動日の29日早朝、バスは宿泊先の金沢市内から志賀町へ出発。途中、工事の車線減少で渋滞している区間があり、予定より遅れて目的地の災害ボランティアセンターに到着した。町北部の富来地区にあり、金沢からはちょうど石巻―仙台間ぐらいの距離感。センター隣では仮設住宅が建設中。幹線道路沿いのスーパーが営業しており、ぱっと見では被災地と感じないが、住宅地に目をやると瓦屋根にブルーシートがいくつも見えた。

 一行を、石巻市から同町に派遣されている元雄勝総合支所長の及川剛さんが出迎え。知っている顔を見ると、初めての土地でも少し安心した。ボランティア登録後、3班に分かれて出発した。私の班はリーダーの社協職員を合わせて9人。4台に分乗し、運転免許のあった私は軽トラックのハンドルを握った。

がれき撤去に記者参加

 30分ほどかけルートで指示された場所に移動。住宅が点在する山間の集落であり、屋敷林に囲まれた納屋のある昔ながらの一軒家だった。落ちた瓦屋根や壊れた家財を荷台に積み込み、また引き返すようなコースで災害がれきの仮置き場を往復した。

瓦を積み込む記者(左)=撮影・石巻市社協

 戻ると作業は終了しており、庭を借りて昼休憩。依頼主の小林芳江さん(78)は看護師の次女と大学生の孫の3人暮らし。「女性だけなので助かる」と感謝された。製紙工場に勤めていた昔、社員旅行で石巻に来たことがあるそうで「遠くから来るなら、みそ汁や漬物を用意したのに」と気遣った。

 残りの瓦などを搬出し、センターに戻る。午後3時の活動終了まで時間があり、近場の寺で崩れた石塀の撤去。仮置き場で3度目の荷下ろしをした。野球場の仮置き場は廃棄物の種類で分別されていたが、総量は多くない印象。行き来した住宅地では一部で被災住宅の解体撤去が行われていたものの、つぶれたままの建物もあった。

 同じように活動する他県のボランティアの姿も。週末の同日は100人ほどが登録し、平日はその半分ほどという。広い町は運転の時間が長かったが、少しでも役に立てれば何より。さらに遠い奥能登地方は、人手が足りているのだろうか。

 金沢市に戻り、飲食店へ〝夜のボランティア活動〟に繰り出す。週末の繁華街は人でごったがえしており、震災で感じた被災地内外の差を思い出した。


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