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絶望の淵から希望つかむ 石巻市須江・遠藤伸一さん(52)

 石巻市須江の復興公営住宅に夫婦で住む遠藤伸一さん(52)。震災の津波で3人の子どもたちを失い、自らも津波に飲まれて九死に一生を得た。深い悲しみの中でも渡波保育所に避難していた地域住民に支えられ、避難所代表として未曽有の大災害と向かい合った。「人とのつながりがこれまで生きてこられた糧」と話す。地域、支援者とのつながりは今も変わらず、遠藤さんは復興支援団体「チームわたほい」の代表も務める。【渡邊裕紀】

 遠藤さんは震災当時、石巻市長浜に在住。東松島市大塩の工場で木工を生業とし、あの日は石巻市内で水産会社の改修工事を終えた直後だった。家族の安否が気になり、車で家に戻ったところ母親恵子さん(当時68)、長女花さん(同13)がおり、2人を確認した後、長男侃太さん(同10)、次女奏ちゃん(同8)の通う渡波小学校に向かった。

 2人を車に乗せて家で降ろし、次は親せきの様子を見に出た途中、津波に遭遇した。車を捨てて流れてきた屋根につかまり、何とか水面に顔を出した。店の外壁とがれきの間で挟まれ、押しつぶされないように祈るしかなかった。右足を骨折するが、何とか生き延びることができた。

 「周りを見渡しても人の気配はなく、生きているのは自分だけかと思った」。がれきをかき分けて近くの渡波保育所まで歩き、他の避難者と共に一夜を過ごした。保育所は2階が無事で布団が使える状態だった。

復興の階段 遠藤伸一さん

「今を生きる子どもたちのためにできることはある」と話す遠藤さん

 翌朝、家に向かう途中のがれきの中から声が聞こえ、恵子さんを見つけた。一緒にいた奏ちゃんは息がなく、自宅の室内からは花さんの遺体も見つかった。民間病院に勤めていた妻綾子さん(52)とは3日後に再会し、無事が確認できたが、それから1週間後、遺体安置所で侃太さんと対面した。

 子ども3人を全て失い、遠藤さんは絶望の中にいた。「そんな私を支えてくれたのは、臨時避難所になった渡波保育所にいた人たちだった」と振り返る。

 遠藤さんは避難所で代表となり、生きるために奔走。23年10月にここの避難所は解消されたが、ここで生まれた絆を絶やしたくないと、支援者や地域の人たちとで「チームわたほい(渡波保育所)」を発足。被災者の見守り活動やイベント開催など、震災で大きな傷を負った地域や人々を支え続けた。

 遠藤さんが代表を務める木工工房(株)木遊木は、テイラー文庫の本棚など、これまで被災地に多くの木工品を届けてきた。その中でも遊具である「虹の架け橋」には、特別な思いがある。「虹はつかめない。子どもたちと生きることをつかめなくなった自分に重ね、流した涙の後に出た虹が人とのつながりを作ってくれたという思いを込めている」と話す。

 遠藤さんは震災で親を亡くすなど心に傷を負った子どもたちを支える「こころスマイルプロジェクト」にも力を注ぐ。

子どもの心のケアは 1段目

 震災復興を10段の階段で問うと「ハード面ではほぼ10段。でも子どもたちの心のケアはまだ1段目」。遠藤さん自身は「3人を亡くした事実があり、0段だと思う。ただ、そこから多くの人とつながり、助けられたことでこれまでとは違う階段を上っていると感じる」とした。

 震災時に支援を受けた子どもたちは今、積極的に支援する側に回っているという。「思いを受け継ぐ若い世代がいる。石巻の未来は必ず良くなる」と期待を込めた。


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