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壁新聞が教えてくれた地域とのつながり

石巻日日新聞は大正元年(1912年)、石巻市中央2丁目付近の小さな建物で創刊した新聞社です。
当時は全国的な不況風が吹き荒れ、石巻もまた、苦しい経済事情の中で、一般庶民の暮らしは食うのがやっとという厳しい時代。石巻の衰退は日清日露戦争をはさみ、明治40年を頂点に前後30年間にも及び、大正に入っても庶民の生活苦は変らず石巻はどん底状態でした。

大正元年10月28日、仙北軽便鉄道が開通。石巻~小牛田間に初めて小型ながら列車が走りました。私たちの新聞社が創刊したのはそんな時代でした。

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本社を中央二丁目に移し、ようやく軌道に乗りかけた大正5年頃の石巻日日新聞社員

戦争による発行停止と復刊

苦難の大正時代に、郷土の日刊新聞として基礎を築いた石巻日日新聞は、昭和を迎え大きく発展。キメ細かな紙面は購読者に喜ばれ、広告依頼も順調に伸びていました。

しかし、戦争の長期化による物資不足と日米戦争へと急旋回していく中で昭和15年、報道・言論統制を強めてきた軍部と政府は、とうとう全国の新聞を一県一紙に統合する方針を打ち出しました。
石巻日日新聞もその例にもれず、同年2月6日、新聞の休刊勧告を受けました。大正元年の創刊以来、血のにじむ思いで育て上げ、ようやく経営基盤も確率して30年。記事の差止めや発行停止という妨害もありましたが、それでも応じず、発行を主張し続けました。

最後の手段として取引先の紙問屋に圧力がかかり、用紙の供給をストップされてしまいまいました。紙が入手できなくてはどうにもならず、涙をのんで廃刊届けを提出。こうして昭和15年10月31日、「第8684号」をもって石巻日日新聞は発行を停止しました。

しかし、戦後の混乱が続く昭和23年12月1日、石巻日日新聞は復刊します。この時、紙齢は復刊第1号とはせず、通算紙齢の「第8685号」としました。戦争という荒波にもまれ、廃刊を経験するも昭和28年9月、通算紙齢10,000号を達成。地方新聞としてはまれにみる金字塔となりました。

東日本大震災による被災

昭和57年から、現在の石巻市双葉町で新聞を発行している私たちの会社社屋は石巻の海岸から約1.2キロに位置するため、2011年3月11日、津波に襲われ、新聞を作る輪転機が被災し、新聞を発行できない状況となりました。

夕刊紙を発行している私たちは2011年3月11日も新聞を発行しています。受け継いできた紙齢はこの時「第27482号」。一面には石巻市立青葉中学校の卒業式の様子を伝える記事を掲載しました。しかし、この新聞は、ほとんどの読者の皆さんへ届けることができませんでした。

震災直後から各地の避難所には大勢の人が押し寄せ、地域がどうなったのか、これからどうすればよいのか、全く情報がなく、不安な中で過ごしていました。100年近くも地域の皆さんに支えてもらいながら情報を伝えてきましたが、その皆さんに情報を伝えなくてはならない一番大切な時に、新聞を発行できない状態になったのです。このまま諦めて、何もしないでいられない。そこで私たちが情報を届けるために選んだ方法は「手書き」で新聞を書くことでした。

号外1号題字記入

2011年3月12日の夕刊号外 壁新聞第1号の題字「石巻日日新聞」を書く近江社長

報道写真107 石巻津波20110314撮影  (21)

3月14日新聞発行の様子

壁新聞作成 横井撮影

3月15日新聞発行の様子 近江社長が作った壁新聞を見ながら書き写す社員たち

壁新聞は3月12日から17日まで、6日間発行。社屋近くの高台にある、コンビニや避難所などに張り出しました。

3月15日午後 トリミング石巻日日新聞号外の壁新聞を見る人たち

石巻市の日和山にあるコンビニに張り出した壁新聞を読む人の様子

319輪転機再開 (9)

3月19日には輪転機が復旧。新聞の印刷をはじめました。

壁新聞が教えてくれた地域とのつながり

手書きの壁新聞は、3月12日から17日まで5~6枚作り、会社から歩いて行ける避難所などに届けました。各避難所には1000人以上がおり、毎日、張り出される地域情報を真剣に読んでくれました。

震災直後の情報は、地域の人たちには信じられない、悲しいことばかりでした。そうした事実を報じることが新聞の役目ですが、一方で、大津波を免れて生き延びた皆さんに、生きる望みをなくしてほしくない、なんとかこの災害を乗り越えてほしいとの思いから、各日の見出しには、なるべく希望を持てる話題を大きく書きました。

また、コンビニが荒らされたり、ATMからお金が抜き取られるなどの物騒な事件も随所で起きていましたが、それがエスカレートして、殺人事件の発生や、とくに外国人グループの悪質な犯罪に関するデマも多く流れていました。不安と不満が渦巻く中では、それを鵜呑みにした人たちによって暴動が起こることも懸念されました。そのため、壁新聞の初日と2日目は、「正確な情報で行動を!」と赤い文字で目立つように呼び掛けました。

新聞社として、壁新聞を作ることはどうなのか。その時は不安もありました。しかし、後日、避難所にいた人たちの役に立ったという話を耳にして、安心しました。また、手書きの壁新聞でも、「石巻日日新聞」という題字があることで、地域の皆さんに信頼できる新聞社の記事であると読んでもらえたことは、私たちにとって一つの発見でした。

これは、100年間にわたりこの石巻地方で情報を提供し続けてきた新聞社の歴史に裏付けられたものであり、またこれまで新聞製作に携わってきた多くの新聞社の人間と、読者である地域の皆さんとの〝信頼関係〟の大きさであると改めて感じました。

震災伝承施設「石巻ニューゼ」で私たちが伝えてきたこと

石巻日日新聞は2012年11月、新聞社の100周年事業として私たちが創業した石巻市の中央地区に震災伝承施設「石巻ニューゼ」を開館しました。

2012年11月1日ニューゼオープン

2012年11月1日、開館セレモニーの様子

6枚の壁新聞を展示すると共に、新聞社の知見を生かし、これまで地域の今を来館した皆さんへ伝えしてきました。壁新聞発行に至った経緯をはじめ、震災直後のまちの様子など、館内の資料や記者が撮影した写真で解説してきました。

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館内には壁新聞を展示しています

石巻に観光目的で来た人や修学旅行生、全国のテレビ局や新聞社などマスコミ関係者、ジャーナリズムを学ぶ大学生たち、地域の小学生も訪れます。2015年3月には、英国のウイリアム王子も来館され、東日本大震災発生当時の地域の様子や、壁新聞に込めた思いなどについて熱心に耳を傾けられました。私たちは石巻ニューゼが開館してから、来館した皆さんと情報の接し方について話をしてきました。

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長野県松本県ヶ丘高校の皆さん(2019年8月20日)

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地域の被災状況や復興の様子を松本県ヶ丘高校の皆さんに伝える熊谷記者

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青山学院大学と東北大学の学生(2019年6月1日)

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専修大学の学生の皆さん(2019年8月8日)

情報防災という考え方

東日本大震災直後に壁新聞を発行した私たちは、この10年近く、情報の伝え方と共に、それがどう受け取られるかについても、考え続けてきました。

不安な思いからあらゆる情報が伝播した10年前の石巻の状況は、スマートフォンが普及してあらゆる情報が手に入る現在と良く似ているかもしれません。総務省の情報通信機器の保有状況の調査によると、世帯におけるスマートフォンの保有割合は2010年には9.7%でしたが、2019年には83.4%まで上昇しました。

スマートフォンの普及や、SNSの利用が広がったことで様々な情報が瞬時に手に入る時代になりました。その中には、故意に人々を混乱させようと流すフェイクニュースや、善意でも思い込みで誤った情報を拡散させる場合があります。そうしたデマに惑わされないことが平時でも求められています。特に緊急時には、ちょっとしたデマによって社会が大混乱に陥り、時には人的被害を及ぼすことにもなります。

デマを見抜くことは、なかなか難しいかもしれません。しかし、大事なことは、記者の仕事と同じで、常に確かめる(ウラを取る)意識です。情報があふれる世の中だからこそ発信元をしっかり意識し、できるだけ多方面から情報を集め、見極める力が求められていると感じています。情報を取捨選択する力が緊急時には身を守ると同時に、誰かを助ける「情報防災力」になるのです。

大事なことや知らせたいことはすぐに、拡散したいと思うかもしれません。しかし、リツイートをする時やシェアをする際には、ぜひ、一呼吸置いて考えてからボタンを押してください。発信元は誰なのか、信頼できる情報なのかを、確認してから共有してください。

こういう時代だからこそ、情報というのは信頼が何よりも重要であると、できる限り多くの方にお伝えしていくことが震災を経験した私たちの使命だと思っています。

私たちが受け継いできた新聞は、2019年7月3 日、紙齢30,000号となりました。

2019年7月3日紙齢3万号

戦争による発行停止や震災による被災もありましたが、全ては読者の皆さんとの信頼関係があればこその達成だと感じています。

石巻日日新聞社のモットーは、「地域とともに」、そして「愛する地域を未来の笑顔につなげます」

これからも、読者の皆さんの信頼に応えながら、情報発信を通して地域を元気にしていきたいと思っています。

最後まで記事をお読みいただき、ありがとうございました。皆様から頂くサポートは、さらなる有益なコンテンツの作成に役立たせていきます。引き続き、石巻日日新聞社のコンテンツをお楽しみください。