見出し画像

不登校はおかしくない! 学校は個性と自信を失くす場所だった!? 絶対に教えてくれない学校の本当の姿とは? 思考トラップ脱出編⑤

前回は失恋ってどうしてこんなにつらいの?
早く失恋から立ち直りたいのにもう無理
その疑問を徹底解説しました!
まだ読んでいない方はこちらから。

今日はずっと私が書きたかったテーマです。
それは現代の教育制度について。
他人と比較して落ち込み癖がある方必見です!
学校教育は個性と自信を失くす場所だった!?
教育によって知らず知らずの内に
幸せになれない価値観や考え方を
刷り込まれている可能性大です。
でも、学校教育の本当の姿が分かれば
もう大丈夫ですよ!

戦後から始まったこの教育制度。
みなさんにとって学校はどんな場所でしたか?
「部活は一生懸命で勉強は全然」
「友達ができて楽しかった」
「勉強頑張っていた」など
100人いれば100通りの感想があると思います。

私の場合は一言で終わります。
「二度と行きたくない場所」
学校がつらくてしょうがなかったです。
不登校になりたかったけど
親が絶対に許してくれない環境で
毎日しんどいと思いながら
必死に通っていました。
学校は私が「生きづらい」と感じた
原点の場所です。そんな原点いらないけど。
友達もいなくて、勉強も面白くなくて
スポーツができるわけでもなく
学校に圧倒的になじめない自分がいました。
今の学校って
「友達がいない」
「スポーツができない」
「勉強ができない」
この3つの「ない」が揃ったら
その子にとって学校は絶望的な場所なんです。
その場所に「無理やりにでも行け!!」
なんて言われた日には
死刑宣告をされたのと一緒。
それぐらいの絶望感があります。
そして、私は学校に馴染めない子は
その子に問題があるからではないと思います。
今の教育制度に問題があります。
断言します!
ここに今の教育制度がどういったものかを
明確に表した一枚の絵があります。

画像1

「木に登ってください」という
試験に集められた動物たち。
鳥、猿、ペンギン、象、アザラシ、魚、犬。
能力も個性も才能もバラバラです。
当然、木に登れる能力を持った動物が
優位になります。
それと同じようにバラバラな能力の子たちを
試験や受験という名の不平等な物差しで
優劣をつけるのが今の教育制度です。
よく勉強がよく出来ない子に対して
「努力が足りない」と怒る人を目にしますが
それは、魚に「お前の努力が足りないから
お前はいつまでも木登りができないんだ!」と
怒っているのと同じことです。
魚には魚の能力と才能があります。
それを見つけることが大切なことで
勉強という狭い物差しでその子の
本当の能力など知ることはできません。
「一緒にいるだけでなごやかな
雰囲気にしてしまう子」
「動物が大好きな子」
「植物を育てるのが上手な子」
今の教育の物差しでは測れない
魅力や才能や個性が子ども達
1人1人にはあります。

「この世の誰もが天才である。
しかし、魚に木登りの才能がないと
評価していたら、魚はダメだと
思い込むような一生を送ることになる」

私の好きな言葉であり
学校に馴染むことができなくて
落ち込んでいる子がいたら伝えたい言葉です。
学校に行かなくても
自分らしく生きられる方法は
たくさんあります。
「いい大学、いい会社、いい家庭」の時代は
終身雇用制度の崩壊とともに終わりました。
これからの時代は
「自分らしく、自由に、のびのび生きる」が
テーマの時代になると思います。
ただ、自分がそのような生き方を
したいと思った時、現代教育が足かせになる
可能性が高いです。

以下、そうなる8つの原因をあげてみます。
今の教育とは
①無個性にする
②なんでも比較競争する
③自己肯定感を下げる
④極端な思考にする
⑤思考停止にする
⑥合わない人との集団生活をさせる
⑦我慢を当たり前にする
⑧自立を難しくする
これが今の教育です。

①から説明しますね。
①無個性にする
今の教育は
ピラミッド社会に適応するための教育です。

画像5

ピラミッド社会とは今の現代社会のことです。
弱肉強食で戦闘バトルタイプの社会で
限られた能力や才能を持った人だけが
評価をされ、モデルケースから外れた人は
除外され、搾取され苦しい思いをするだけの
社会です。
この社会に適応できる人間をつくるのが
今の教育です。
例えば、レンガありますよね。

画像2

レンガは日本では明治から入ってきたものです。
写真を見てもらえば分かりますが
みんな同じ形に整えられています。
そこに個性はありません。
没個性です。
でも、使う側にはとても便利で
統一されることが美しさになっています。
個性はいりません。
軍隊のように権力者の指示通りに動く
そこに何の疑問も持ってはいけません。
それが素晴らしいとされています。
このレンガのような人間をつくるのが
今の教育です。この形が素晴らしいとされ
その形から外れる人間がいたら
徹底的にはじかれます。
将来の夢が「公務員」「大企業の社員」なら
今の学校が無理でも行く価値があります。
ただ、そうでない場合は
無理していく価値はないと思います。

②なんでも比較競争する
「みんな違ってみんないい」という
フレーズがありますが、学校教育は
その真逆をしていますね。
「試験」「スポーツ」「コンテスト」など
他人より優れていること
他人より勝っていることが
求められます。

よく言われるのが
「周りと競争をして人として成長できる」
「人と比較しながら切磋琢磨して
いいものができる」
競争や比較は人生にとって
必要なことでしょうか?
本当にそうでしょうか?
他人に勝つ、他人より上に抜け出すという
考え方は、まだ勝っているときなら
いいかもしれません。
でも上には上がいますよね。
その人にまた勝つために、もっと頑張って
もっと努力して、心身ともに
すり減らすことになりませんか。
家族と過ごす時間がなくなり
「○○しなければ」「○○のために」と
自分に忍耐や我慢をさせ続ける日々。
そして、やっとの思いで勝ったら
心と身体がストレスでいっぱいになり
キャパオーバーになっていたなんてことも。
しかも、勝って称賛される世界に
嫉妬や妬みは付き物です。
その嫉妬や妬みのエネルギーは
嫉妬の対象に与える影響が大きいのです。
例えば、授賞式のあとに、いつもより
疲れたなんてことがあったら要注意
知らず知らずの内に他人から嫉妬などの
念をもらっている可能性が高いです。
ちなみに、「ありがとうございます」という
波動の軽い言葉を言うことで
その念を吹き飛ばせます。

また、比較競争をすることで
常に人より自分はどうかを基準に
考えるようになり、比較癖がつきます。
この比較癖がやっかいなんです。
小さいころから習慣化しているので
無意識に、他人と比較して落ち込むことを
繰り返してしまいます。
比較している自分に気づいたら
「キャンセルします」
と頭に×印をイメージして
取り消すことをオススメしますよ。
私がそうだったんですが
この比較癖は百害あって一利なしです。
学校の教育でついてしまった癖だったんだなと
気づいてから意識してキャンセルしました。
比較癖は「癖」なので意識次第で治せます。
利き手を右手から左手に変えるくらいの
練習と時間はかかりましたが
他人との比較ではない自分軸で
生きられるようになって楽になりました。
このように比較や競争は分裂を生み
自分を苦しめる原因になると思います。
私たち1人1人は宇宙に1人しかいない
オリジナルでスペシャルな存在。
そこに、人との比較や競争は
いらないと私は思います。

③自己肯定感を下げる
今の学校は長所を伸ばすのではなく
すべて平均的にできることを
求められます。
これが子どもの自己肯定感を下げます。
例えば、国語が得意で数学が苦手な子がいて
「得意な国語をもっと伸ばしましょう」
ではなく
「苦手な数学をがんばりましょう」
というのが今の教育です。
苦手ということは「興味ない」もしくは
「難しい」「嫌だ」と感じているからです。
それを無理やり「やりなさい」と強制されると
子どもは苦痛に感じ、自己肯定感を下げます。
自分が尊重されていないと感じるからです。
「苦手なことができることによって
達成感がうまれる」という人もいますが
私はそもそも苦手なことをする意味とは!?
と疑問に思います。

「好きこそ物の上手なれ」
何事も好きであってこそ上手になります。
苦手な事ではなく、得意な事をすればいい。
そのほうが、学びも上達も早いです。
特に好奇心が強い子どもの時期こそ
好きなことを伸ばす教育が必要だと思います。

④極端な思考にする
テスト=暗記です。
「そんなこと覚えて意味あるの?」
ということを何回も何回も
暗記させることで
考える力を徹底的に奪います。
テストも選択肢から選びなさい
という問題が多いですよね。
「選択肢の中から選ぶ」という癖がつくと
選択肢のほかに答えがあるという考えに
いかなくなります。
そうすると「この中から選びなさい」
という場面に対して、素直にその中から
選んでしまうことになります。
「この中に答えはない」
「この中に私の考えはない」と
思考することもできなくなります。
与えられたものの中でしか
考えられなくなります。
白か黒か、善か悪かという
極端な思考に対して
何の疑問ももたなくなります。
1つの出来事に対して
色々な方向から考える力や
柔軟性を奪う教育なんですよね。
小さいころからの癖になっているので
このパターンに気付くことがまず
大切なことです。

⑤思考停止にする
「思考停止」とは「何も考えない」
という事でないです。
自分で正しいと信じ込んだ情報の他には
「何も考える必要はない」
「何もする必要がないんだ」と必死に考えて
それを全力で正当化させる思考
またはそれを他人に押し付ける思考です。
「この情報だけ!」と頑なに握りしめると
他の情報が受け取れなくなります。
これ、学校のルールや
先生の言うことを聞く習慣によって
なりやすい思考だと思うんですよね。
そこに疑問を持って行動したら
問題児扱いになります。
権力者に歯向かうこと=悪
みたいになります。
だから、無意識に偉い立場の人が
言っていることが正しい気がすると
思い込んでしまう危険性があります。

画像6

さらに義務教育のときに
よくしていたこの座り方。
体育座りと言われていますが
別名をご存じですか?

それは奴隷座りです。
なぜ奴隷座りかというと
上からの指示を待つ人間にするために
この座り方を奴隷にさせたからです。
この座り方をすると
背中や尾骨を丸め、お腹を圧迫し
顔の表情が自然と下がり、呼吸を浅くして
何も考えられない身体になります。
だから、この座り方をしたまま
人の話を聞くと無意識にその内容を
受け入れてしまう仕組みです。
こんなところにもトラップが
あったんですね。
上の写真ですが、体育座りの写真
なかなか検索できなくて
「悲しい」と検索してやっと出てきました。
そういう座り方ってことですよね。
ちなみに、おすすめの座り方は
胡坐や正座ですよ。

⑥合わない人との集団生活をさせる
この学校の集団生活苦痛だったんですよね。
ただ同じ地域に住んでいる
生まれた年が同じ子という条件だけで
集められ、一緒に生活させられる。
その子の個性とか性格は度外視です。
「友達100人できるかな」
なんて歌ありますけど
「ムリムリ」って感じです。
友達ができなくても大丈夫です。
ただ、その子たちとは合わないだけの話。
世の中にはたくさんの人がいます。
それを狭い1クラスの中で友達を作ろうと
するから苦しくなります。
それに友達はつくるものではなく
自然に出来るものです。
ムリしてつくるものではなく
努力や頑張る必要もありません。
その時間を自分の時間につかったほうが
楽しいし、ラクですよ。
私は読書の時間に使いました。
知識も増えたし、有意義な時間でした。
「かわいそう」「孤独」とか言う人は
言わしておけばいい。
友達がいなくても大丈夫です。
一生に1人親友がいれば十分だし
それは奇跡だと思います。

⑦我慢を当たり前にする
「学校のために早く起きて登校して
決められた科目の授業と
決められた時間に休憩して
決められた時間に下校する」
この生活がまさにピラミッド社会に
適応させるためのものです。
「時間で行動すること」
「時間に管理されること」
「決められたスケジュールをこなすこと」
小さいころからこの生活に
慣れさせることで、この社会に
何も疑問を持たなくなります。
そして、我慢してたくさん働くことが
素晴らしい、美徳と刷り込んで
「なぜ満員電車に乗るのか」
「なぜ休憩時間が決まっているのか」
その他のたくさんの「なぜ」に
気付かないように
それが常識と刷り込みます。
このピラミッド社会の頂点にいる人たちは
庶民が積極的に我慢をして
庶民が進んで働いてくれることで
得をしている人たちです。
間違っても、江戸時代のような
1日3~4時間の労働時間
庶民同士が助け合って
物を消費しない社会
自給自足の社会になっては困ります。
その生活をされると
税金の納税額が少なくなり
お金をあまり使わなくても生活ができるので
「生きるために働く」
必要がなくなりますから。
たくさん働くことへの違和感をなくし
我慢させることを慣れさせるために
今の教育があります。

⑧自立が難しくなる
学校の授業の内容って
実際の生活に役に立たないことばかりだと
思いませんか?

私が学校で役に立ったなと思った事は
○読み書き
○簡単な計算
○自分の親指の爪の縦の長さと
同じ長さの頭部の歯ブラシを使うこと
おかげで一度も虫歯になったことがありません
○女性と男性でトキメキの部分が違うこと

画像3

女性は綺麗な夜景が見える場所で
好きな男性から「好きだよ」とか
甘い言葉でささやかれることが
トキメクこと(雰囲気に弱い)

画像4

男性は自分好みの女性と街で
すれちがったとして
その女性からシャンプーの香りが
したらトキメクこと(五感に弱い)

セッ○スができる基準は
女性の場合、相手を好きかどうかが重要
男性の場合、相手が好きでなくてもできる
(もちろんすべての男性ではない)
以上です。

学校で習うことは私にとって疑問だらけで
人生で役に立たない数学の公式などを
必死に覚えたところで何になるんだと
常に思っていました。
それを周りの大人にいっても
「今はその価値が分からないだけだ」
「そうやって学校の勉強をさぼれば
あとで後悔することになる」
「勉強は今の時期にしかできないことだから
一生懸命やりなさい」
など言われて
全く取り合ってもらえなかった
思い出があります。

あれから時間が大分経ちましたが
今になっても価値が分からないし
勉強をしなくても後悔していないし
勉強は本気になることが大切で
あの時期でなくても
年齢関係なく挑戦できると思いました。
生きるために必要のない内容は
やっぱり大人になっても
必要がなかったです。
人生で必要なことのほとんどは
学校以外の場所で教わったと断言できます。

いかがでしょうか。
こういった側面も今の学校に
あることをお伝えできればと思います。
私は現代の学校を絶対に
行ってはいけない場所とは思っていなくて
行きたい子は行けばいいし
行きたくない子は行かなければいいと
思っています。
ただ、「行きたくない!」と思った子の
受け皿が圧倒的に少ないのも事実で
そこが残念だなと思います。
「学校に行かない」と子ども達が
選択をしたときに色々な選択肢がある社会に
なっていたら嬉しいです。

次回は子どもの個性と才能を伸ばす教育
サドベリースクールをお届けします。
時間割もテストも先生もいない学校です。
私一回見学に行ったことがあって
「この学校だったら行きたかった!」と
感動したんですよね。
お楽しみに。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
この宇宙に1つしかない
オリジナルでスペシャルなあなたに
このメッセージが届けられたことに
感謝を込めて。

Twitterもしています。
noteではなかなか伝えられない
情報をお伝えしているので
よかったらご覧ください。

わたしたちの現代社会が
なぜこんなにも苦しく
国民が将来に不安を抱えながら
生きているのか。
それは過去の歴史を紐解けば理解できます。
過去の歴史を知ることで
今の自分の立ち位置を理解することができ
どう行動すればいいのか分かります。

賢者は歴史に学ぶシリーズを
発信しているので
よかったら読んでください。

#エッセイ #不登校 #学校行きたくない #いじめ
#思考トラップ脱出 #フリースクール



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?