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レシピのない料理教室とレシピを放棄した料理家

食業界という大海原に浮かぶ、料理家という巨大な島の、人里離れた辺境の地に生息してる。
謙遜でも卑下でもなく、事実。
その場所で今、レシピも用意せずに料理教室をして、SNSに詳細なレシピを載せることもせず、はてどうしようかと考え込んでる。

「仕事何してるの?」って聞かれた時に、「食関係だよ」と答えた場合、その先にくる質問は2パターンある。
一つ目は「飲食業?」、二つ目は「料理家さん?」。
私にとってはどちらもしっくりこない職業だけど、適切な答えが見つからない。
強いていうなら…という前置きをしてから、「料理家、みたいな感じかな」と答えるのが常だ。


私の周りにいるシェフや料理家さんたちは、常に新しいレシピや食材の組み合わせを考え、たくさんの時間と思いを込めてそれを丁寧に伝えている。
料理に対してはもちろん、本を手にしてくれるであろう人やSNS上でそれを目にする不確定な人に対しても、それはそれは真摯な姿の方達ばかりと仕事をしてきた。
すごいなぁ、一緒にお仕事ができて有難いなぁと、何度でも思う。
だからこそ。
そんな素敵なシェフや料理家さんのアシスタントにつくたびに、これと同じことを私はできるだろうか、私はしたいだろうかと考えてしまう。


レシピを届けることに、これほどの熱量を注げるだろうか。
以前は「私だって頑張る!」と息巻いていたけれど、ある時から「私はそんなに頑張れない」ということに気づいてしまった。
自分の本を出したい!料理番組に出たい!
そんな強い欲はないということにはっきりと気づいてしまった。
レシピをつくること自体、放棄しつつある。


だけど。
「食」に関わる仕事がしたいし、し続けたいという想いは強く強くあって、諦めきれない。
じゃあ、何をしたいのか。
私の持ちうるもので、誰かの役に立てるものって何なのか。


「食」の仕事をしたいと思い動き始めた頃から今まで、ずっと続けてきたことがある。
それは月に一度の料理教室だ。
8年前、始めた当初は普通の料理教室と同様にレシピを渡して、私がデモをしつつ、みんなも一緒に料理するという流れで開催していたけれど、いつしかレシピを事前に用意ことを放棄して、当日みんなで相談するという形式になった。
いや、した(笑)。
レシピ作りが苦手だってこともある、あるけれどこれにはちゃんと理由がある。

※ここから先の文章について、決してレシピを否定しているものではありません。
  大好きな料理家さんが沢山いるし、レシピ本も山のように持っています。
 私自身が伝える側に立った場合の想いとして受け取ってもらえたら嬉しいです。


私の料理教室にレシピがない理由 その1


私の料理教室は基本的に、野菜をたっぷり使ったビーガン料理(肉や魚など動物性の食材を使用しない)教室。
その時美味しい野菜をたっぷり食べてほしいし、いろんな野菜に触れて味わってほしいから、お世話になっている農家さんからクラスの前日着で野菜を送ってもらっている。
おまかせで頼んでいるから、何が入っているかはおおよそしかわからない。
だからレシピは作れない。
クラス募集のために、一応事前に毎月テーマ食材を1〜2つ決めているけれど、それは「この時期なら絶対入っているであろうもの」を選んでる。
(もちろんハズレる場合もあって、その時は慌てて探しにいくのだけれど)

私が思う…というよりは「願う」というのが近いかもしれないけれど、おうちのごはんは今台所にあるものや、帰り道に寄ったスーパーでたまたま安かったものでつくったらいい。
スーパーや八百屋さんの一番目立つ場所に安売りされているのは、大体その時期が一番美味しい旬の野菜たち。
沢山収穫できる時期だからこそ、価格も落ち着いてる。
それを食べたらいいって思ってる。買い物も迷わなくて済むしね。
旬の野菜は美味しいからっていうことはもちろんだけれど、家計にも優しいし、回り回って地球にも優しい。(この説明はまた別の機会に)
だから一年を通して旬のリレーをしていく野菜のことを、もう少しだけ知ってほしい。
一年中変わらずに並んでいる野菜はもちろんだけれど、ある時期にしか出回らない野菜にも、もう少し興味を持ってもらえたらなって思う。


多くの料理本のレシピでは、みんなが食べ慣れている、買い慣れている食材をつかう。
季節を問わずに使うものだし、自炊のハードルを下げるために必要なことだし、だからこそみんなが安心してその本を手にするのだと思う。
それは料理家さんたちや出版社の方達が、私たちにレシピを届けるために必死で考えた末のことで、本当に本当に素晴らしいことだと思ってる。


料理教室はその日だけのものだから、旬ど真ん中を味わうことができるのがいいところ。
メジャーじゃない野菜も大好きだから、その美味しさも知ってほしいと強く強く願っているし、伝えたいと思ってる。
なくなってほしくない。
みんなが買わなければ、食べなければ、その野菜をつくる人もいなくなってしまう。
そうしたら私も食べられなくなっちゃうでしょ!
みんなが買わない理由の90%は「どうやって料理したらいいかわからない」からだ。(残りは好き嫌いだろうから仕方ない)
一度料理して味わってみたら、もう怖くない。
次に買い物行った時その野菜を見つけたら、きっと「この間のクラスで料理したやつだ!食べたやつだ!」と思い出してくれるだろうし、買ってもくれるだろうし、おうちで料理もしてくれるだろう。
私のクラスでつくる料理は驚くほど簡単で応用が効くものばかりだから。
それを一言でいってしまうと「適当」になる。
適当っていい言葉だ。ネガティブワードではないの、知ってるよね?
そして適当が掴めると、お気に入りのレシピをその食材で応用したりもできるようになる。

私の料理教室にレシピがない理由 その2


新しい味に出会うきっかけになりたい。
その気持ちはとても強い。
ただそれと同じくらい、みんなそれぞれ好みの味があるよねって思っているし、実際それぞれのお家の味の傾向みたいなものがある。

書いてある分量通りに作ったら美味しい。
それはそのレシピを作った料理家さんの血と汗と涙の結晶だから!
すごいことなんですよ!それって!
ただ今まで料理教室をやってきて、気になって仕方なかったのは、レシピ通りにつくる方達の多くが味見をしないということ。
それが何度作ってもレシピから離れられない理由であると思ってるし、失敗したときにレシピのせいにしたり、素材のせいにしたりする理由でもあると思ってる。(レシピから離れろとは言ってませんよ)
同じ醤油でも、メーカーによって味は全然違う。
同じ玉ねぎでも、季節によって味は全然違う。
だからレシピ通りに作ったとしても、途中で味見するのは必須で、料理家さんたちだって常に味見をしてる。
自分の舌を信頼してほしい、信じられる舌に育ててほしい。
レシピは土台であって、最適解かもしれないけれど、絶対じゃない。

クラスをしている間、「味見して!」「味見した?」「どう?」って、何度声をかけているかわからないくらい、しつこく味見をしてもらってる。
その料理をメインで作っている人だけじゃなく、全員に味見をしてもらってる。
ある人は「もう少し塩味がほしい」というし、ある人は「今の味がいい」というかもしれない。
違いがあることを知れば、良くも悪くも自分の味の好みがよくわかる。
そして今ここで使っている調味料と、自宅の調味料の味がどれだけ違うかもわかる。
おうちで作るときに、あの時より少し減らそうとか増やそうとか、感覚でわかるようになるし、確認のために何度も味見するようになるみたい。
そうしたらもう、料理はどんどん楽になっていく。
本で学んだレシピも自分のものになっていく。


私の料理教室にレシピがない理由 その3


農家さんから直接野菜を届けてもらいたい、という方は多い。
その一方で、知らない野菜や使い慣れない野菜が届いてしまったらどうしよう、と二の足を踏んでしまう方も多い。
なら、使い慣れない野菜をできるだけ減らしたらいい。
農家さんから直接送ってもらった野菜をそのままみんなの前に並べて
「さあ、どうやって食べる?その前にまずこのまま食べてみようか?」
と料理をする前に、プチ会議を毎回するのが楽しい。
甘いのか苦いのか、水っぽいのか硬いのか。触ったらわかるし食べたらわかる。
それぞれの特徴を活かす料理法をちょっとだけアドバイスしたら、みんなが少しずつアイデアを出してくれて、さあ作りますか!と料理が始まる。
私にとってもそれは毎回すごく学びになるし、何より物凄く楽しい。
この野菜はこの料理、っていつの間にか凝り固まってしまった私の思い込みを、爽快にぶち壊してもらえる。
知らないからこその発想、それは私にはもう出せないアイデアだから。
明らかに失敗するな、という提案以外はひとまずやってみる。
イマイチ?ということだってあるけれど、イマイチなそれをやらなければ次は美味しいものができるのだから、その印象を残すのだって無駄じゃないと思ってる。
少し軌道修正するだけで、美味しく変身することも一度や二度ではない。
レシピ通りに作って上手くいかなくても、軌道修正は可能だって希望も持てるしね。

知らない野菜が届いたら(生で食べられそうなものは)まず食べてみる。
その味や水分量を知ってから、どんな料理にしようか味付けはどうしようか考えてつくってみる。
これは場数を踏んだもの勝ちなので、私のクラスがその最初の一歩になったらいいなって、祈りを込めてやってる。


大きくはこの3つかな。

これが正しいのかはわからない。私が好きでやっていること。
レシピを放棄して料理教室をしている私が、今後どんな風に「食」の仕事に関わっていけるのかも今は五里霧中。
おうちごはんのハードルを下げたい、もっと気楽につくって欲しいという想いとは矛盾しているのかもしれない。


レシピがない料理教室なんて、需要あるのかな。
(ちなみに当日つくったもののレシピは、後から材料と工程をお送りしてる)
需要を生み出して、仕事をし続けるために必要なことはなんだろう。

続けながら、答えをみつけていきたい。



レシピのない料理教室はこちら↓


※レシピ開発のお仕事は、計量も放棄せずにちゃんとやってます!



















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