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今この時代に、直接料理を教わるということ
レシピも作り方も料理に関する知識も、検索すればなんでも知ることができる今。誰かに直接料理を教わることに意味はあるのかな。
自他共に認める料理教室好きで、私自身も料理を伝える仕事をしていますが、この数年はずっとこの問いと向き合ってきたような気がします。意味がないとは思っていない。でも聞かれてもうまく答えられない。
このモヤモヤに光を差してくれたのは、やっぱり料理を介して関わった人たちでした。今はね、心から言えます。
人生で一度でもいいから誰かに料理を教えてもらうこと、おすすめだよ。
対話する料理教室【食べるの始末】
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【食べるの始末】は、私のパーソナル料理レッスンの名称。簡単にいうとパーソナルジムの料理版です。オンラインで1ヶ月間に3回の料理レッスン+いつでもLINEサポートをしています。(こちらの投稿で説明しています)コロナの間はオンラインのみでやっていましたが、2024年の4月から訪問レッスンも再開しました。オンラインでは画面越しに、訪問の場合はご自宅に伺って一緒に料理します。
このレッスンは、おうちにある食材を事前に教えてもらい、それをベースに何を作るか決めるスタイル。いつもどうやって食べてるの?今はどんな味が食べたい?調理にどれくらいの時間をかけられる?質問しながらたくさんおしゃべりします。普段は一人の台所。こんな風に対話しながらごはんをつくることってあまりないですよね。でも一緒に冷蔵庫をチェックして、悩みや困りごとを吐露して、こんなごはんがつくれたらいいなと話す時間を設けることを、私はすごく大切にしています。だってその後の料理している姿も表情もびっくりするくらい清々しくなるから!可視化して言語化するって、なかなか一人じゃできない。今の状況を伝える誰かがいた方がいいし、それはその分野のプロが良いです。対処法をより多く知っているから。
そして同時に誰かと話すことで「これでもいいんだ」「私だけじゃないんだ」という安心感を得られることもかなり大切だと思っています。共感と許容がある場所では、伸び伸びとチャレンジできる。許容と共感、これ実は私が料理を伝える際の裏テーマです。
思うようにできない
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生徒さんは、シェフになりたいわけでも、料理家になりたいわけでもありません。自分が満たされるごはんを、目の前の人が喜んでくれるごはんをつくりたいだけ。そのために、動画やSNSや本などを駆使して、みんな地道に頑張ってる。私はそれを心底尊いと感じて、全力で褒め称えています。でも本人からしたら、それが報われていると感じることは少ない。だから辛いんですよね。「思うようにできないんです」という言葉を何度聞いたかわかりません。
「思うように」はなんだろう。私にはそれが、正解の味とそこにたどり着くたったひとつの方法のように思えてしまうんです。正解できるかできないかで、自分自身を評価してしまうから辛い。少し視点を変えれば、ゴールへの道のりは何パターンもあるし、気分で行き先を変えたっていいと気づくけど、それはレシピに書かれていません。(全部書いたら大変だもの)誰かと一緒に料理するのが良いのは、これしかない!の思い込みを手放すことができるから。定番のハンバーグだって、作り方は千差万別です。料理を教える人は、ゴールへのルートをたくさん知っています。失敗させないの。「思うように」が幻想だったことに気づかせてくれるのが、料理を教える人なんじゃないかな。私はそう考えています。
体験から記憶へ
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本や動画でレシピを検索するのがアーカイブだとすれば、料理を習うという体験はライブです。好きなアーティストの曲を音源で聴くのとライブで聴くのは、また全然違う感動がありますよね。それと同じ。料理教室好きとしては一生に一度はライブもいいよとおすすめしたい。(音楽好きとしても一度はライブに行ってほしい)
数多ある料理教室は大きく2つのタイプがあって、一つは実践型、もう一つはデモ型です。前者は先生のデモンストレーションをみた後に生徒さんが各グループで同じものを作って、自分たちが作ったものを食べる教室。後者は先生がデモをみた後に、先生が作ったものを食べる教室です。実際に作ってみたいという方は前者を、先生がつくる味を知りたいという方は後者を選ぶことが多いかと思います。どちらの良さもあって捨て難い。私はどちらも大好きですし、どちらにも参加しています。
ちなみに私のパーソナルレッスン【食べるの始末】は、ライブ前リハーサル。生徒さんの日常がライブ本番で、私は本番がスムーズに楽しくなるためのサポートをする人。ダンスやボーカルの先生のようなお役目です。サポート役だから、私がメインで料理することはほぼありません。つくるのは98%生徒さん。対話をしながらつくり上げた一皿には、出来上がりまでの過程で、そこに紐付くたくさんの記憶が生まれます。
「ささみを茹でるときは、お湯に入れてすぐ火を止めるとじわじわ火が入って仕上がりますよ。私たちだって熱々よりぬるま湯にじっくりつかった方が身体が緩むもんね。」そんな話をしながら、お互いダラーっと緩んだフリし笑い合う。これがすっごく大切。。この先ささみを茹でるたびに、笑い合ったことを思い出してすぐに火を止めるはず。楽しい記憶は強いんです。忘れない。そしてアドバイスをもらいながらでも、最初から最後まで自分で作ったという体験も大切です。何食べたい?から盛り付けまでのやりとりと、それに紐づく知識と味の記憶。これは一人で料理することでは得難い、人から料理を教わることで得られる、最強のものなんじゃないかな。
巻き込まれる
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「ゆこりん※が楽しそうに料理をしたりごはんの話をしたりするから、なんだか私まで作りたくなっちゃう。」
今まで生徒さんに何度も言われた言葉。料理しながら私のことを思い出してくれるなんて嬉しい!よくよく聞くと、茹でる時は鍋から離れないでー!味見して味見して味見して!鍋をいじらないでー!等々、思い出されるのはしつこくて面白かったことばかりのようだけど…。でもいいの。料理を楽しむ私に巻き込まれてくれら本望なんです。
料理教室に参加したら、美味しいものができるぞーっていう高揚感とか、先生が流れるように料理を仕上げていく爽快感とか、とにかくその場所の雰囲気に巻き込まれるのが良いと思っています。余韻が残る帰り道はいい気分で、なんだか自分も料理上手になった気がする。この「気がする」が侮れません。料理上手な自分になりきって作ると、いつもより美味しくできた気がしてまたいい気分になる…という、幸せな勘違いのループが始まるんです。最初は全部気のせいでいいの。続ければそれが本当になるから。
料理を教える人は、料理が好きな人(少なくとも嫌いだったり辛くはない人)。料理を教える人が放つ、「料理って楽しいよー」という空気感に巻き込まれてしまいましょう。自分でやる気を奮い立たせるより、人に巻き込まれる方が、何倍も楽ちんです。本や動画やSNS投稿からもその空気感は伝わるけど、直に感じるパワーは別格。それをわかっているから、教える側としては、場づくりが一番気かうところでもあります。
※先生と呼ばれるのが苦手なため、ニックネームで呼ぶことを推奨しています。
楽になったら楽しかった
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今年の初めにレッスンを受けてくださったSさんから、送られてきた長い長い感想文。その中には、私が探していた直接料理を教わることの意味が、そのまま書かれていたように感じます。
・ごはんを作るプロセスは決断の連続だから、苦手な人にとって大変なのは当たり前。自分を責めないでほしいと言ってもらえて、すごく楽になりました。
・こういう風にするのもすごく美味しい!と言われると、あぁ本当にそうなんだな、私も早く試したい!とワクワクします。同じ文言でもネットや本で読むのとは、言葉が持つパワーが違うなと思いました。
・ひとりでどうにかしようと孤独な気持ちで料理していたので、誰かと一緒に料理する楽しさも実は新鮮ですごく楽しかったです
Sさんのメッセージで繰り返されていたのは、「楽になった」「楽しかった」という言葉。これがキーワードに違いない。「楽になった」は、容易になったと言うより肩の力が抜けたイメージ。これって相手も自分も許容した安堵感かな。「楽しかった」は、自己完結ではなくワクワクを共有した喜びを感じる。これは共感かも。
二つの言葉の解釈をしていると、私の裏テーマである「許容」と「共感」にどんどん繋がっていきます。わぁぁぁ…。
直接教わることがきっかけで、肩の力が抜けて料理にワクワクを感じられるようになる。凝り固まった自分だけの正しさを手放して、新たな世界の扉を開く。私が料理教室に通うのをやめられない理由はそれだー!Sさんも、今まで私の教室に参加してくださった方も、近いものを感じてくれたのかな。そうだったらいいな。
料理を直接教わること
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今と少し違う気持ちで、料理ができたらいいのにと思ったら、誰かに直接教えてもらうのはどうでしょう。料理上手な友人に教わるところからでもいいけど、個人的には教えるプロに教わることをおすすめします。
少し探せば、お住まいの地域にひとつは料理教室があるはず。はじめの一歩は、好きな人がやっているところ、好きな味が学べるところに行くのがおすすめです。お気に入りの店のシェフが開催している教室であれば、お店の味を自宅で再現できるレシピを教えてくれます。好きな料理家さんが開催している教室であれば、愛用るすレシピ本やインスタ投稿の味を実際に味わうことができます。憧れの人に会えるという付加価値は絶大だし、まずはそのどちらかに参加するのがいいんじゃないかな。私もそうでした。
料理教室では積極的に動かないとダメだよね、私はそういうのが苦手なんだけど…という人もきっといると思います。自分のペースでいいんです。積極的に調理したい人もいれば、じっと話を聞きたい人もいるって、教える側はちゃんとわかっています。どちらがいい悪いなんてありません。両者とも、体験しているし、記憶に刻んでいるし、巻き込まれています。その場にいることが何より大切なこと。
今の時代も、直接教わることには意味がある。意義がある。少なくとも私はそう感じています。
料理を直接教わって、巻き込まれて、楽に楽しくなりましょう。
教える人は伝えたがっています。いつでもウェルカム体制でいますから、安心してくださいね。
ここまで書いて自分の宣伝するのはどうかと思いつつ、宣伝!
パーソナルオンライン料理教室とレシピのない料理教室の詳細、開催予定はこちらのページに掲載しています。
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