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食べるの始末と命の手綱

「始末」という言葉、最近はあまり聞かなくなりましたね。

先日、「始末がいいね」と声をかけていただいたことがとても嬉しく、それと同時に小さい頃は、耳から溢れ出るほど聞いた言葉だったなぁと懐かしくなりました。

【始末】
①物事の始めと終わり。
②ある物事の最終的な状態。
③物事のきまりをつけること。片づけること。
④浪費しないこと。倹約すること。

広辞苑

私にとっての始末の意味は、①or③のこと。
②は「しまいには〜する始末だ」なんてフレーズが頭に浮かぶけれど、④の意味は知らなかったなぁ。
いろんな意味があるんだなぁ。
知らないことばかり。何歳になっても世界は学びに溢れていて楽しいですね。


さて。
私が始末という言葉に懐かしさを感じる所以は、それが母の口癖だったからなんです。

「始末が悪い」
「始末をしっかりしなさい」
「始末が大事よ」

それは、生活態度を戒められる時の常套句。
今思えば、暮らしの中で始末をきちんとするということは、私の母の教育方針だったのかもしれません。
だから余計になのかな。
「始末がいいね」という言葉をかけてもらった時の喜びはひとしお。
小さい頃から気を配ってきたことが、認められたようで、「お母さんやったよー!」と胸を張ってしまいたくなるくらいです。


そういえば…と思い返してみると、始末について厳しく(口うるさく)言われていたのは、ほぼ家事のこと。
洗濯、掃除、料理。
洗濯であれば、服を脱ぐところから始まって、汚れのチェック、洗濯表示の確認、洗濯後の干し方、たたみ方、箪笥へのしまい方まで。
掃除であれば、上から下へと進めていくこと、水拭きと乾拭き、場所ごとの頻度や、そもそも掃除の手間を減らすための毎日の暮らし方まで。
戦前生まれの祖母(私にとってのひいおばあちゃん)から厳しく躾けられた母は、家事のエキスパートでした。
故に、娘の私にもとても厳しかったんですよね。


母と台所で過ごした思い出には、常にこの言葉共にあると言っても過言ではありません。(記憶が誇張されているような気もするけれど)

洗い方、切り方、調理方法についてはもちろんですが、一番は片付けについて。

料理と片付けは並行してやるもの。
料理中も流しや作業台に使うもの以外はない状態が基本。
料理が終わった時に片付けも終わっていないと料理上手とは言えない。

これができなかった時に、言われるのが「始末が悪い」というお小言。
あの時はお小言として捉えていたから、あーもーとうんざりしていたけれど、今となっては徹底的に教え込んでくれてありがとう!って感謝の気持ちでいっぱいです。
今、仕事で一番褒められるところであり、これができるからこそ仕事をいただけているとも言えるから。
お母さんありがとう!!!
お小言とか言ってごめんなさい!


食べるの始末。
食べるの始まりはつくる。料理をする。
もっと言えば選ぶところからだけれど、料理をするところから始まって、健やかに幸せに毎日を暮らし、命を全うすることが終わりです。
健やかに暮らすための手段として、料理は一番身近で手軽な方法だなって、私はそう思っています。
自分の体調を自分でコントロールすることができるんですよね、何を食べるかで。
それはつまり自分の命の手綱を自分でもつ、ということなんじゃないかな。

もちろん、外食や加工食品(お惣菜など)を全て否定なんてしません。
友人との楽しい時間や、自分へのご褒美、新しい味との出会う機会としても、それはとっても大切で必要なものです。
私自身、ヘトヘトな日にはとても助けられています。
ただ、それだけになってしまうのは、少し違うかなとも思うんです。


外食や加工食品は食べるの始末の、ほんの一部分です。
素材を選ぶところも料理をつくるところも片付けるところも全部すっ飛ばして、食べるというその一部分だけを取り出したもの。
食べるの始◯末、始末の言葉の中にある見えない◯の部分だけです。
これでは自分の人生の手綱を持つことはできないなぁ。
よく知らない誰かに、手綱を渡してしまっているような感じ?
健やかな暮らしを人任せにしているとも言えるかもしれません。


自分の命(健康)をよく知らない誰かに委ねすぎるのって怖いな。
ふと感じることがあります。
もしも今まで頼っていた全てがその手綱を放棄して、突然自分で操らなくてはならなくなった時。
どこから始めたらいいのか、終わりがどこなのか、前後不覚に陥ってしまうんじゃないかな。
それは怖いな。
時には知らない誰かに、時には周りの人に渡したっていい。
でも。
自分の命の手綱だもの。自分で持っていたい。
食べるの始末を身につけることは、命の手綱をこの手に握ること。

余談ですが、命の手綱をもつことは、自分の機嫌を自分でとるということと同義だとも感じています。
食べるも始末ができるようになったら、自分の機嫌をとることが容易くなるんです。
少なくとも、私はそう。
食べたいものを食べたいときに作るできたら、嬉しいじゃないですか。
「私もなかなかじゃない?」って、自分が誇らしくもなるし。
他人任せだと、想像と違うものが出てきたりしてピッタリハマるのが難しかったりもするけれど、自分で始末ができたら「これだよ!」ってものができますよね。
食べるの始末を身につけるって、最強かも。


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ひびのわという屋号で、料理教室をしています。
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