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旬と命のリレー

お盆を過ぎた頃から、空も風もふっと軽くなって急に秋の気配が濃厚になってきました。
まだまだ昼間汗だくで過ごしているけれど、朝晩はちょっと羽織るものが欲しい感じ。
秋冬が大好きな私にとって、好きなシーズンへと進んでいく過程は小さな幸せです。

とはいえ、季節の変わり目はちょっと慌てたりもするんです。
あれ?夏野菜もう終わり?きゅうり食べとかなくちゃ、ゴーヤはまだあるかな?
当たり前にいつでもそこにあった夏野菜の存在が急に貴重に感じて、ゴーヤチャンプルを作ったり、カッパ巻きを作ったり…。
どの野菜も店頭に一年中並んでいることはわかっていても、やっぱり旬に食べ尽くしたい気持ちが大きいんですよね。

野菜には私たち同様に、それぞれ出身地があって、どんなに育つ環境や品種が変わっても、DNAの中には彼らが一番育ちやすい季節や環境がある。
一番伸び伸びと生き生きと成長できるタイミング、一番その野菜らしい個性が光るタイミング、それが旬なのだと理解しています。

旬だから美味しい、というのは乱暴な言い方のような気がしてあんまり好きじゃないんだけれど…。
美味しいは私たちの主観、私たちの口に合うかどうかであって、その野菜の本質とは限らない。
どうせなら、一番らしい時に味わって「これが〇〇なのか!」って楽しみたいんです。
もちろん、品種改良や土壌の違いで、本来の味なんてどこかに消えてしまったとも言えるでしょう。
それでも。
やっぱり旬が好き。

出始めの走り。まだまだ若い瑞々しい味わい。
旬ど真ん中。本領発揮!なビシッと決まった味わい。
最後の輝きの名残。身の詰まった濃厚な味わい。

どの時期も、愛おしい味わい。

名残を終えると、次の世代(種)に全てのエネルギーを手渡して、枯れていく野菜たち。
季節の移り変わりとともに、巡る命のリレーがあります。
私はそのリレーの途中で彼らの命を分けてもらい、私の身体に彼らの命を宿して私たちの次世代に繋いでいくんだね。
皮の張ったトマトを洗いながら、種の大きくなったきゅうりを切りながら、そんなことを思うんです。


夏野菜を名残惜しみながらも、気持ちの半分は今年の秋野菜を早く食べたい!ってワクワクしているんだから、食いしん坊のエゴはすごいものです。
ただ、それがとても嬉しい。
命のリレーが続く限り、私は日々移り変わる旬を味わい続けることができるんです。
そんな小さな幸せが、私にとっては最高で最強!

私自身はもう名残の季節。
でも次世代をつくることはできなかったから、何かの形で命のリレーができたらいいなって思いながら、「食」を生業にしています。

私本来の味わいをみつけて、それを周りの人たちに美味しく味わってもらえたら、それが最高で最強な人生。
がんばろー。



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