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竹生島へ行ったのは新緑の日でした




副題クルージングのススメ。としたいほど、竹生島への約30分のクルージングは心地良すぎた。北湖の風景に何を思ったか。言語に表せないまま、言語を並べ綴る。旅にゆける日を嬉しく思いながら、その時の簡単な記録を簡単に。




どうしてかわからないけれど、ふと竹生島へ意識が向いたのは新しい年になってからで、人生で初めてのことだった。観光として歴史ある箇所を廻るのは好きだけれど、普段から歴史に特別関心を寄せて暮らしてるわけではない。
それがどうしたことか、言葉を選ぶならば「呼ばれた」んだと思う。
そしてすぐに決めた。青々とした新緑、心地よい風吹く湖面の凪ぐ季節に訪ねようと。ちょうど開山1300年の年だった。巡り合わせだと思った。



5月某日、天候に恵まれ、サングラス越しにも葉の青さがわかるほどに太陽の光を浴びながら、滋賀県は長浜港へ向かった。駐車場は無料だった。なんと親切な。待合室には整理券のようなものは見当たらず、券売窓口の近くに座って待つことにした。ご夫妻、ツーリング仲間、お友達、ひとり旅など様々な方が待っていた。販売時間になるとスタッフさんが出てこられ、急に行列が作られた。往復3400円。それから乗船開始までまた思い思いに待つことになる。飲み物を買い忘れていたため、待合室の建物の周りを見渡すと幸い自動販売機があったので無事購入できた。乗船準備が進むのを眺めながら、琵琶湖の風景を色んな場所から眺めた。風も穏やかで湖面も凪いでいて最高のロケーションだった。竹生島へ渡る前に気持ちが結構満たされていた。数ヶ月待った旅だったからか、旅のスタート地点に立てることがきっと嬉しかったのだ。


ベンテンと長浜港のりば



いよいよ乗船。迷わず2階へ向かう。甲板があるからだ。1階の席をとる人も多かったのは意外だった。窓から湖面が近いからだろうか。実は帰りも2階へ行ってしまったため、1階席の様子がわからず終いだった。船は大きな音を出しながらゆっくりと出航した。少しずつ竹生島が大きくなってゆくけれど、動力でも30分ほどかかる。昔の人力の頃、この島へ色んなものが運び込まれたことを思うと、歴史の壮大さが昨日より増した気がした。

竹生島を眺めながら進む
迷わず甲板へ


島に降りるとアーケードのある露店が目に入った。そちらの方へ進むと突き当たりに入島券売機があった。600円。チケットを見せてすぐに石段を登る。真ん中に手すりがあるものの足腰にくる階段の高さだった。なるべく早い齢での観光を進めたい。中腹で振り返ると、そこは琵琶湖だった。新緑の隙間から眺る琵琶湖も風情があった。

大好きな新緑の季節に




宝厳寺、日本三大弁天の中で最も古い歴史を持つ大弁才天が安置されている。他は、神奈川の江ノ島、広島の宮島である。国宝である唐門は2020年5月に修復が終わったこともあり艶やかな色彩が目立っていた。大阪城極楽橋の現存する唯一の遺構とも言われており、時の流れの不思議を思った。人の命の短き、自然の命の長きを思い、ここに残り続ける物質の不思議を不思議に思った。一体、何をどれだけ見てきたのか。


それから、秀吉の日本丸の一部が使われた国・重文の舟廊下をわたり、都久夫須麻神社へと進んだ。当時のかわからないけれど、墨のような色した文字のようなものも散見され、時空を越えたんだと思わされた体験だった。

神社向かいの龍神拝所は、かわら投げで有名だ。

龍神拝所


私はしなかったが、ちょうど投げられた方が見事に成功された場面に出会えたことを幸運に思った。風にも煽られ押し戻されるような曲がりくねった軌道だった。強運の持ち主だったのだろう。幸運な出会いだった。


島を簡単に回ろうと思えばあっという間に短時間で、じっくり見ようと思えば1便遅らせる必要もあるだろう。資料館にも入った。300円。広くもなく数も多くなかったが、面白い物もあった。四面どこから見ても中の像がこちらを向いてる仕掛けには人の智慧すら見られた。


帰りの船で、航路後方に見える竹生島をいつまでも眺めながら、クルージングの心地良さを惜しみながら腰掛けていた。船を降りるときはすっきりとしていた。さっきまでの未練なんて最初から無かったみたいに、あっけらかんとしていた。乗船から3時間弱だったが良い旅だった。大袈裟かもしれないが、先々の予定が無事に終えられた安堵に感謝した。本当に大袈裟だけれど、生きていることを歓んでいたい。っと、余談でした。


いつまでも眺めながら


その後、徒歩で長浜駅へ向かい、駅近の「鳥喜多」にて名物親子丼を頂く。地元のお店!って感じで雰囲気もよく美味しかった。添えられた漬物の分厚さに驚いたことも記しておこう。


とにかく、新緑の季節が思い出をまばゆく光らせてくれたように思う。
青々とした青紅葉へ心からの賛辞を。


おわりに、星野富弘さんの言葉を添えます
「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった」(いのち,P40)


みなさんの生きることが嬉しくあり続けますように。どうか少しでも。

お読みくださりありがとうございました。

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