「おたく文化」と「推し活」の違い-社会は病んでいる

「推し活」なる言葉がメディアで取り上げられるようになって久しい。元々はモーニング娘。などのアイドルファンの中で使われていた言葉で、2020年に芥川賞を受賞した小説『推し、燃ゆ』をきっかけに若者を中心に一気に広まった。アイドルだけでなくアニメのキャラクターやスポーツ選手まで、幅広いジャンルで「推し」という言葉が使われ、グッズ購入やイベント参加などの「推し活」がさかんになっている。

1980年代から注目されるようになった「おたく」とは少々意味合いが異なる。彼らはコミックマーケットに集うアニメ好きな「社会不適合者」であり「犯罪者予備軍」として一般人に警戒された。ところが、1990年代後半になると、『新世紀エヴァンゲリオン』の大ヒットとともに、おたく文化はサブカルチャーからメインカルチャーへと格上げされるようになった。2000年に入ると、2ちゃんねるの掲示板から映像化された『電車男』の大ヒットや「メイド喫茶」の増加、「萌え」の流行により、「おたく」はカタカナ表記の「オタク」=ただの「アニメ好き」となり、カジュアルに名乗られるものとなった。『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らきすた』などの京都アニメーション作品は多くの若者の心に刺さり「聖地巡礼」は町おこしに利用されるようになる。このころから完全にアニメはジャパニーズカルチャーとして国をあげて持て囃されるようになり、「おたく」への否定的な表現、マイナスイメージは払拭された。一方で、かつて存在していた「おたく」は「オタク」によって帳消しにされ居場所を失ってしまったのである。

そして2010年以降、モーニング娘、AKB48、ももいろクローバーZなどのアイドル全盛期とともに「オタク」に代わる新しいポップな名称「推し」が広まっていった。「推し」とは属性の一つで、無個性な自分に「キャラクター」を与えてくれるものである。「私とは何か」を問うてやまない時代に、「推し」が手軽に「私」の一側面を説明してくれる。「推し」という拠り所によって不安定な「私」、不明瞭な自己は支えられるのである。

私は「おたく」から「オタク」への変遷、そこからの「推し活」には深い断絶があると思う。元々はメインカルチャーの眩い光に目をくらました人間が逃げ込んだ暗がりがサブカルチャーであって、属性を探すものではなく、個々の属性を隠す隠れ蓑のようなものであったはずである。オタクは「私」を語ることを避けたからこそオタクになったのだ。それに対し「推し活」は「私」を語る上での手がかりとして利用されているのである。かりそめの「私」を得て満足しているこの由々しき事態、居心地の悪さを、私はカルチャーの一部として楽観視することができない。もっと精神的な、集団の病理とも捉えられる事態に思えてならないのだ。

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