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6歳と1歳が家にいるなかで、妥協しながらのものづくり(日記)

赤ん坊に見えても、1歳児にはやりたい意志があって、ヤキモチも妬いて、独り占めしたがる。時には意地悪もする。姉は姉で赤ん坊みたいな遊びをして、他者との時間の「共有」を喜びとし、「共有」とは言えない強引さで妹の自由を奪って遊びを「強要」する。そんな姉に妹は爪を立てて「凶暴」性を発揮する。私の額にも猫にひっかかれたような傷跡がいくつも残っている。32歳をこえたあたりから傷の治りが遅く、気休めにキウイを水に浮かべて飲んでみたりする。その程度でしか自分を労ることができない。春休みにわけのわからない幼児たちと一緒に暮らすとはそういうことだ。

昨夜、姉が小学校で使う手提げと体操服入れ、上履き入れを夜鍋して作った。

裏地がキャラクターなのは、表地には出したくない私の小さな反抗心
マチあり 黄色の布はニット

布を買いに行く時間もなかったので家に残っていた端切れを組み合わせて作った。お金がかかってないぶん、作ってよかった満足感はある。

女児というのは好みがころころ変わる。色への執着心が強くて、「可愛くないもの」への迫害感情が露骨である。だいたい女児の「仲間はずれ」のきっかけは「可愛くない」とか「汚い」「ださい」というルッキズムによるものである。子どもはとても残酷だ。

我が娘も可愛くないものを作ると容赦なく批判してくる。私は「あなたが可愛いと思うものとママが可愛いと思うものは違う」「人がいいというものを悪く言ってはいけない」とはっきり物申す。しかし、私も娘の好きなものを「ダサい」と思っているし、言いそうになる。凶悪なチェーンをぶら下げた黒いミニスカートとか、包帯みたいに腕に巻きついた白いリボンとか、適当な英単語がでかでかと書かれた肩出しヘソだしのシャツとか、黒歴史以外の何ものでもないだろう。しかし、娘にとってはそれが「イケてる」のだ。仕方がない。

「娘が可愛いと思うもの」を作ってあげたい。しかし「クリエイターとして自分が可愛いと思えないもの」は作りたくはない。この矛盾がいつも私を悩ませる。ついつい布を買う時、自分好みのくすんだイエローを手にとってしまう。娘好みだったパステルカラーのピンクはブームが去ってしまい、むしろ「嫌いな色」になりかけている。今は水色とかエメラルドグリーンがイケているそうだ。そんな色の生地、うちにはない。

「とにかくパンティみたいにヒラヒラさせておけば文句はないだろう」という投げやりな考えはあながち間違ってはいなくて、今のところパンティ風小物は気に入ってもらっている。私の好みなんかより、流行の先端にいる若い人の意見が正しいと思う部分もあるから、私は娘のOKが欲しくてしつこく作品を作り続ける。ちょっとした修行だ。

私がいいと思うものを作り、私がいいと思うものを食べ、私がいいと思う音楽を聴き、私が行きたい場所へ行く日が、いつか来るのだろうか。自由に恋焦がれる反面、この理不尽な日常の中を目に焼き付けておこうとも思う。次に娘が見る景色は何色だろうか。

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