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共感性について-摂食障害を考える(その6)

現代の若者は、自分が歴史の流れの中に生きながら世界に対峙しているという感覚を欠いている。大量の過激なコンテンツを前にしても、空虚な「今」が現れては消えていくだけの、断絶された「瞬間」の連続に身体が置き去りにされている。

過食症患者がむちゃ食いと嘔吐をしている「瞬間」や境界例が腕や手首を切り血を流す「瞬間」は、ある種の「解離」現象とも捉えられる。彼女たちは行為に走る直前に、緊張感とともに澄み切った透明な世界に没入し、痛みや苦しみを一時的に忘れる。主体は拡散し、身体感覚は断片化するのだ。紛れもない自分である「身体」を傷つける行為は、自分自身に帰属するもの=家族、半生、故郷、血統といったものを拒絶し、あらゆる外界から「私」という人格を守ろうとする試みにも見える。死ぬ気もないのにリスカをし、インターネットに写真などを公開する若者のことを「かまってちゃん」と揶揄することがあるが、自傷というグロテスクなものを不特定多数の人々に見せつけて他者を遠ざける反面、特別な「私」を誇示しながら理解者を希求するという、屈折した他者への接近が窺える。帰属を否定しながら帰属を望んでいるのである。

食に関する病と、境界例は症状が重複することが多く、違いを明確にすることは難しい。しかし境界例が自他の未分化による「他者との接近」に問題を抱えた病であることは明白だろう。摂食障害固有の孤独感は、自他の区別がついた上で他者から自己を解放しようとする無謀な挑戦によるものである。他人から「見られる」前に先手を打って身体をコントロールし尽くし、食べて「感じられる」身体を過剰に満たし、生命的で受動的な活動の全てを拒絶し、全能的な「私」に浸る。その際に他者はとても遠い一方的な監視役となったり、とても近くで自分を飲み込んでしまう脅威にもなりうる。身体を介した他者との終わりなき戦いは続くのである。

ここにも「解離」がもつ帰属性への苦悩が見て取れる。続きはまた次回書きます。

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