『新・異端のすゝめ』冒涜か亡命か忘命か
[異端]
その世界や時代で正統とする信仰や思想などから、はずれていること。
[正統]
創始者の教え・学説・思想などを正しく受け継いでいること。
その時代、その社会で最も妥当とされる思想や立場。
[冒涜]
(スル)神聖なもの、清浄なものをおかし、けがすこと。
[亡命]
(スル)政治や宗教上の原因で、本国を脱出して他国にのがれること。
[忘命](新)
何の自負もなく気負いもなく、いつも静かに笑っていること。
―
思想への冒涜が正統であり、
正統への冒涜が異端であり、
異端からの亡命が忘命であり、
忘命への冒涜が思想である。
(ソクラテス風)
―
何事においても、巡らない論法は舌足らずである。
該当する言葉がないのなら、作り出さなければならない。
それは全識字者における精神衛生上の義務である。
―
正統であることへの自負は、死者に対する冒涜である。
異端であることへの自負は、生者に対する冒涜である。
何の自負もない状態、自己からの亡命、それが「忘命」である。
―
正統である者には正統であること以外の選択肢はない。
対して、異端である者には主に3つの選択肢がある。
1.その地で異端を貫くこと。(時間的逃避)
2.他の地に移り住むこと。(物理的逃避)
3.異端であることを忘れること。(概念的逃避)
ここで1、2はともに3への手段であることをご理解されたい。
人を異端たらしめるもの、それは概念である。
われわれが何らかの固定概念を持つかぎり、
それは集団的無意識下で異端審問を開き続けるのだ。
『安心』という心理状態は、
疑心暗鬼の社会における多数派の中枢という時代の『正統派』の特権である。
言葉を返せば、安心を求める心は何にも増して悪魔的である。
固定概念の操作によって、悪魔に悪魔をあぶり出させ、冒涜と亡命の連鎖を生むこと。それこそが、神の創りし世の「素性」なのであろうか。
神のご意思もご意志もご遺志も、私にはよくわからない。
だからせめて、
無神論者よ、名を改めよ。
無神論者という響きは、神を逆なでするだけだ。
それでは神の存在を縁取りしてしまう。
それが目的ならば、それはそれでいい。
しかし、中でも高潔な異端者はこう名乗りなさい。
『忘命者』と
~新・シリーズ~
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