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時間の速さは十人十色

時間の速度を物理的に標準化することの功罪。
マクロ:象とアリの時間感覚は異なる。これは有名な話。
ならば人間の、国家間ならどうか、種族間ならどうか。

ミクロ:ほぼ同じ大きさの分子間でさえ反応速度は異なる。
ならば人間の、個体間ではどうか、細胞間ではどうか。
老人と児童の時間感覚が異なるのは有名な話。

同じ物理的時間軸上にあって、個体間で時間に対する速度感覚が違う。未だにほとんどの民衆が時計を持たない国も少なからずある。しかしなぜだろう、時計の所持は時間速度を速めるような気がする。暦の使用は民衆の時間感覚を統合し一体感を生むのだろう。
数十年でリセットされる元号:そこには四季の循環に準じる生活感がある。
西洋化の経過時代を表す西暦:それは人間の歴史、あらゆる民族の逡巡が刻まれている。

川の流れの断面を輪切りにして見る。するとそこには様々な速度の水粒子、溶解物、堆積物、鉱物、生物残渣があり、種々の生き物がいる。水粒子の速度は岸では遅く、川の中央部では早い。鉱物の動きは遅く、生き物の動きは不規則だ。
この事実を知ったうえで川の速度の標準化を考える。川が水の集合と見れば平均速度は求まる。しかしそのような、水だけから成る標準化可能な川が一体どこにあるだろうか。
今ある視界も感覚も、何かにとってはマクロで、何かにとってはミクロ。

利便性のための基準を設ければ、かえってそれに縛られる。

何事もあってもなくても同じこと。違いは心からのみ生まれる。

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