白髪と私
いつの間に
私には子どもがふたりいる。上の子は20代の終わりに、下の子は30代になってから出産した。
産後は髪が抜けると聞いていたものの、2回の出産で抜けるけれども驚くほどではなく、私は髪での困りごとがほとんどなかった。「髪を振り乱して」という表現のとおりに、黒くて艶のある髪を振り乱して育児をした。
そうしているうち、30代も折り返し。36歳のころ、ついにコップの水が満ち満ちたのか、ターニングポイントなのか、あるいは分水嶺みたいなものか、なにがどうだかわからないけれど、白髪が突然増えた。
こめかみのところの髪をかき分けると、
あら?え?
白い、白いぞ……?
シロイルカみたいにつるんとした白髪が佇む。
育児にも仕事にも忙殺されて、自分のこめかみの毛などはまじまじと見る機会すらなかった。だから、太くて立派な白髪が生えていたことに気づかなかった。
そこから私は、白髪を見つけるたびに切る選択をした。自分で切ったり夫や子どもに頼んだりして、ハサミを入れるときにはだいたいは独り言がセットだった。
見つけた、ここにもひっそり隠れていたなんて。チョキン。
こうやっておばあちゃんになっていくのねえ……。チョキン。
白髪とどう付き合っていくのがいいかわからず、見つけてはちいさくため息をついた。自分がゆっくりと確実に年を取っていること、日々の生活で疲れ切っていること、そのふたつが凝縮されて白髪になっているのかもしれない。
白髪、原因、ぼかし、カラーなどと検索したり、海藻類がいいと聞けば増えるタイプのワカメを買ったりした。
植え付け
そういう生活をして約2年が経ち、私は38歳に、子どもたちはふたりとも小学生になった。
とある土曜の朝、お気に入りのぬいぐるみでごっこ遊びをしていた子どもたち。
「あら、たいへん!白髪がある!わたし、おばあちゃんになってしまう!」
「シワシワのおばあちゃんになってしまうのね、かわいそうに。切ってあげましょう」
ぬいぐるみを通して陽気に交わされる言葉の数々。
私は一瞬フリーズして、自分の行動を後悔した。白髪で嘆く私を見続けて、白髪は悪いものと子どもたちは捉えてしまった。さらに、白髪は老いの象徴で悲しいことだとみなしているのも、子どもたちの言葉から察した。
画一的な美と白髪
太っていたらおしゃれを楽しめない、ムダ毛があって彼氏にフラれた、目はぱっちり二重だと映える。意識せずとも目に入ってくる広告では、理想的な美を日々刷り込まれる。
そういう画一的な美のあり方に疑問を持っているのに、こと白髪では私も同じことをやっていた。白髪は老化でネガティブなものだと価値観を植え付けてしまったことは、取り返しがつくのか。
私は、どうすればいいんだろう。
出会いと問い
ちょうど同じころ、私と子どもたちはオペラの『カルメン』にハマっていた。特に作中の『闘牛士の歌』にどハマりして、バリトン歌手の動画を3人で観ては漁った。
偶然見つけたのがロシアのバリトン歌手の、ディミトリー・ホロストフスキーさん。彼はもう亡くなってしまったけれど、その美声はたくさんの動画に残っている。何度も何度も再生した。
ホロストフスキーさんは、その豪快な歌いっぷりと太くて色気のある声が魅力的だ。そして、さらにもうひとつ私を猛烈に惹きつけたのは、彼の上品な銀髪だった。浅い褐色の肌に、輝く銀髪。歌う姿すらも麗しくて、銀髪はなんていいものだろうと動画を観るたびにほれぼれした。
子どもたちとも、銀色の髪はかっこいいねえ、最高にいかしてる、なんて話をした。そこで私はふと、ちいさな問いを立てた。
銀髪がかっこいいのであれば、白髪だって同じじゃないのか。
生まれつき銀髪なのと途中から白髪になるのでは、ちょっと異なる。でも、実際に私の白髪はきれいだ。まっしろだったり、薄い白だったりとさまざまだけれど、どれにも個性があってきれいな色をしている。
……これだよ。答えはすぐに出た。
白髪もいいものだ、と。
宣言
そこから私は白髪を切るのを一切やめた。切らずに伸ばすことにした。そして、同じタイミングで子どもたちにも高らかに宣言した。
「おかあさんは、ホロストフスキーになります。よく見たら白髪がすごくきれいだったから、切らないで伸ばしてホロストフスキーを目指すことにしたの」
子どもたちは、母がまたいかれたことを言っていると思ったのか、適当な返事をした。でも、「ホロストフスキーになるならかっこいいね」とも言ってくれた。わかってらっしゃる。
そして、今
ホロストフスキー化宣言から1年半が経った今、私の白髪は他の毛と同じように豊かに伸びている。私の場合、白髪の群生地はこめかみ付近で、特に髪を後ろで結ったときに白髪がよく見えるようになった。
前髪を眉の上で切りそろえるのが好きで、ぱっつんにすると右眉の上に野太い白髪が潔く凛として主張する。毎晩パドルブラシで髪を梳くたびに、白髪で毛の流れがわかってきれいだ。
最近白髪が増えた気がして、子どもたちにどう?と聞くと、「ホロストフスキーになってきたね!」と白髪を明るく捉えてくれるようになった。
1本の白髪から始まって紆余曲折があり、私は自分の髪がすっかり好きになった。黒々とした髪も白髪もすてきだから、これからもこのままの髪を愛でていくよ。
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