自ら淘汰を選ぶ権利について

虚無感。
自己肯定感の欠如。
物足りなさ。

だけど、それを誰に、どこに発散するというのだろう?
全てがおこがましいと思えるほど、自分を愛せない人々は。

だから、破滅的な結末に至ってしまう。
自力で終えることができないから、誰かに終わらせてもらうために何かを正当化する。

無敵の人。
無敵だろうか。
敵だらけで救われなかった人だろうに。

じゃあ社会がそれを救えと。
これ以上福祉増税なんてクソの極みだ。
労働可能な日本人はどんどん減るっていうのに。

だから、自分で自分を終わらせる権利を認めて欲しいと常々思う。
それだけでずいぶん生きやすくなるんじゃないか。

腐ったウドの大木が、自分からその身を断つことで日だまりが生まれる。
その日だまりで、育つべき下草が育つのだ。

何も生まぬウドに福祉の名のもとに金をやろうというのか。
ただでさえ不条理に貧しい人が多いのに。
トリアージのやり方間違ってるだろ。

なにしろ僕がそうだからそう思うのだ。
僕のようなデクが生きるために使われるカネと資源。
それが、もっと優秀で日本に収入をもたらす可能性のある人に…宝のように大切な新生児たち、その親御さんたちに使われてくれたら…。

終われない人生ほど惨めなものない。

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