一級河川

初めてその人に会ったのはJR福井駅近くの喫茶店だった。福井駅は県庁所在地にもかかわらず人はまばらで、ロータリーはご丁寧に整備されているものの、バスはろくに停車すらしない。2、3台のタクシーがゆっくりと地鳴りを起こす様にアイドリングしている。車内には高齢のドライバーが、息をひそめるようにして客を待っていた。

その人は「一級河川が見たいです」と言った。当時私はネットに散文的なものを公開していて、時々「会ってみたいです」というファンレターのようなものをもらうことがあった。気が向けば、老若男女問わずに会っていたが、その人も、その一人に近かった。ただし、私の書くものが好きなわけでも何でもなく、ただ会ってみたかったそうだ。予め聞いていた風貌よりも、4~5歳上に見える。実際には40代も半ばだったが、50に差し掛かっているように見えた。まばらな白髪はそれこそ散文的で、表情には薄い卵膜のような影が見えた。彼は東京都〇〇区から来た人で、東京を出るのは10年ぶりだと言った。生まれは九州で、大学時代から都内に暮らしているらしい。小刻みに指を震わせながらブラックのコーヒーを飲む様子には、砂糖一匙の余裕すら見えなかった。私は珍しく黙って彼の話を聞いた。(普段は私のほうが初対面の人にはよく話す。)「こんなところに来たって、何もないですよ」と言うと、「一級河川が見たいです」と言った。

季節は秋が深まっていた。秋が深まっている、という文字列を見ると、紅葉が美しく空気が澄んでいる様子が目に浮かぶ人が多いだろう。北陸の秋は重箱中に湿気と曇天を詰め込んだような景色が広がる。重苦しい空気が一雨ごとに増していく。刈り取られた田の上には沼のように水が滞留するのだ。冬季は時に深い雪に覆われ、どこにも行けないこの地の人々を表しているようだった。曇天の中を愛車に案内する。助手席に乗り込むその人は、背丈が喫茶店で見ていた時よりも小さかった。160センチ台であろうか、小柄で丸いシルエットが、助手席にすっぽりと納まる。

福井県には一級河川は九頭竜川と北川があり、その日は九頭竜川に向かった。九頭竜川は延長が1,029.1km、流域面積2,930.0kmで、私にとっては幼い頃から身近な河川でもあった。美しさや悠長さのある河川ではなく、やたらと生々しい気配がある河川で、時々魚も人もしっかりと押し流してしまうような獰猛さが見える。私はそこを深く愛していた。

九頭竜川にある鳴鹿大堰は鹿をモチーフに作られている大堰だったが、そんなユーモラスな可愛さはなく、河川の冷気をまとった姿はどこにも泳ぎ出すことができない小舟のようだった。鳴鹿大堰に案内した私は、静かに付近その人と歩いた。冷たい北陸の空気が沁みるのか、その人は自身の手のひらを、何度か傷んだ紺色のスラックスに擦りつけるようにして温めていた。布がこすれる音は、轟音を立てて流れる河川の前では響かない。落ち着きなく何度も温める姿を、しゃがみこみながら黙って見つめる。小石に翻弄されながら歩く姿は、助手席に乗る前よりもさらに小柄に見える。帰る場所の無い少年のようにおぼつかない。

「本当に何もないところでしょう。」と言うと、その人は明らかに苛立っていた。本当に何もないことに苛立っているのか、自分に怒っているのかわからないが、寒さのせいかさらに身体が小さく見える。「行きましょうか」と立ち上がりながら声をかけると、おもむろに私の右手を取る。明らかに私の手の方が冷たいことを知ったその人は動揺し、私の頬を触る。血走った血管をなぞるように冷たい指が頬を這う。私は眉をしかめながら「私の頬は、あなたが一生懸命温めた手よりも冷たいですよ」と言う。布でこすれた指先からは、なぜか陽だまりのような匂いがする。乾燥でひび割れた私の唇をなぞろうとし、思わず頬から手を払うと、「ここからどこかに失踪する時が来たら、僕とじゃだめですか。」と言った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?