神がいない国

今日は少し、取材の下地となる雑記を書いておきます。私は今年、犯罪被害者支援に携わる弁護士数名に取材を実施しております。まだ公開できる段階ではないのですが、取材や日々感じていることをまとめておこうと思います。

まず、犯罪被害者支援の現場は「手弁当」です。名もなき弁護士たちが、使命感や責任感、時に司法修習時に学んだ流れから現場で実務を重ねていますが、決して「儲かる」仕事ではありません。そもそも、人の生々しいトラブルを片付けられるのは、怖い人か弁護士です。力か法か、どちらを選ぶのかは人によりますが、問題の解決は裁判官がするわけでも、警察官がするわけでもありませんし、検察官でもありません。お金をもらってトラブルに突っ込んでいけるのは、怖い人か弁護士です。お金をもらわなければ当たり前ですがどちら側に居ても困窮するわけで、お金にならない仕事は避けられてしまいます。犯罪被害者支援は、決してお金にならないので、弁護士も二の足を踏むのは当然です。

犯罪被害者支援に関心をもって臨んでいる理由は、私自身も交通事故被害者の親族だからです。私のケースは、任意保険の加入があったので高額賠償を受けられましたが、はっきり言って訴訟の負担の多さから家族とは疎遠になりましたし高次脳機能障害も、脊髄損傷も、億単位のお金をもらったところで治りません。お金は金額がいくらあったとしても、被害者にとっては「気休め」の1つに過ぎません。ましてや、性被害などの犯罪は、加害者に資力がないことがかなり多く、示談でもわずかなお金しか被害者側が手にしていません。犯罪被害者支援の弁護士への費用は、悲しいことの被害者自らがお金を出しているのです。

このような事情があり、弁護士は被害者のためにも「手弁当」となるわけです。ただ、手弁当にも限界があるため、こうした必要な実務に携わる弁護士は決して多くありません。そして、かなり大きなストレスを抱えています。飲酒事故、性被害、幼児誘拐など、いろんな事件の陰で、メンタルを日々整えながらセーフティーネットの前線で悩み続ける弁護士に、少しでも光が当たればと思っています。

さて、ここからが雑記です。日本では犯罪被害者の方が、「できるなら自分の手で加害者を裁きたい」という言葉をよく口にする、と取材の中でお聞きしました。18歳の息子を飲酒事故で失った母は、この手で裁くと言い続けていると聞きます。私はこの意見には反対を唱えたいと思っています。もちろん、私ももしも…これ以上は言葉にしないでおきますが、類似するような事件があれば、この手で裁きたいと思うでしょう。ただ、昨今は私刑に関する漫画が非常に多く、いじめや性被害などのリベンジは、怖い人でも弁護士でもなく、「謎のプロ集団」や「成長して復讐する私」によって遂行されます。今日のニュースとなっている配信者殺人事件も、どうも私刑です。

日本では犯罪被害者を支える柔らかな毛布が、温かな支援が、穏やかな声掛けが、あまりにも足りません。性に関する事件では、被害者側を性的に消費するためにマニアが動きます。地獄には更なる奥地があるのです。第1次被害、を地獄の1丁目とするなら、被害者やご家族はお金の支援もないまま2丁目、3丁目と更なる地獄を歩み続けています。犯罪被害者やそのご家族は、この世の地獄をさらに煮詰めた煮汁を、何度も飲まされるのです。

しかし、なぜ私刑には反対か、というとそれでもなお被害者の名誉は回復しないためです。血で血を洗っても、残念なことにスカッと解決はしません。(もちろん、番組としてのスカッとジャパンにも反対です)
達成感があるのかどうかはわかりませんが、高額の賠償金を得ても名誉が決して回復しない父を見た自分の経験からすると、必要なことは私刑ではないと考えています。私自身も事故の時に多くの人との縁を失いました。今も回復していません。さらに、西洋諸国のようなキリスト教の概念などもないため、「起きるべくして起きた試練である」など、神からみた今回の事件レビューもできません。圧倒的な概念で事件を優しく包み、乗り越えていくこともできません。神が加害者も被害者も許さない土壌である以上、被害者には別の方法で支援が必要です。

ではどのような支援が必要なのか、それはわかりません。神がいない国で、誰が、何が、傷を癒せるのか。わからないので取材をしています。




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