NoPlan

 いや別に内村プロデュース発進のユニットではなく、単にタイトルが思いつかなかっただけである。
 
 生まれてそれなりの時間が経ったが、未だにこのタイトルというものを考えるのが下手だし、何なら考えたくない。主題なんて表現もあるが、主な話題を簡潔にまとめようとすれば、どうしてもオミットしないといけない情報があって、伝えたい意思とは大抵がそこに集約されるものなわけで、つまりタイトルをつければ必ず失われる情報があるということだ。
 
 それが嫌で、昨今の漫画やラノベのタイトルは長いのかもしれない。いやたぶん、あらすじから中身を想像したりする能力を培わずに生きてきた人が多いから、だとは思うけど。ライトノベルは立ち読みできないことが多いから、その辺は難しいが、自分にとっての当たりと外れを、限られた情報で見抜く技術は所詮どちらの経験も多くないと生まれないものであろう。

 ともあれ、ローマ人の物語を読み返している。現在、キリストの勝利。もう終わり寸前。これを読み終われば、あとは一冊しかない。正直、筆者の塩野七生のテンションが下がっているのが見て取れるのだが、まぁ、三世紀の危機前後のローマ帝国の歴史に面白い要素は基本的にないので、それは仕方ないかもしれない。

 さて、そのキリストの勝利はキリスト教を公認したミラノ勅令を出したことで、キリスト教史観では大帝と呼ばれるコンスタンティヌスの治世の後から始まる。
 帝国を三分割して、三人の息子に託してコンスタンティヌスは死んだ。その治世は、先代のディオクレティアヌスが帝国を四分割してコンスタンティヌスを含めた四人に託した時代も含めれば、三十年を超える。一人の肯定として君臨した時代は十三年。大往生、と言ってもいいだろう。彼の目的は大体が達成されたわけであるし。

 しかし、コンスタンティヌスは自身が四分割で受け継いだ帝国を、自分だけのものにした男だ――つまり、他の後継者を皆殺しにしたのだが、そんな彼がなぜ、子供たち三人に帝国を三分割して託したのか、というのはわりと疑問だった。しかも三人とも、当時のローマ帝国では珍しくない、武官としても文官としてもほとんど経験値がなかったし、教育はほぼキリスト教が認可したものだけで過ごした。
 有り体に言えば、経験も知識もない若者たちだ。
 コンスタンティヌスには、どちらも十分だった長男がいたのだが、彼は息子を殺している。その理由は彼の後妻と性的関係を持った、と発表されているが、それが事実であったと示す資料はない。
 口さがない人に言わせれば、コンスタンティヌスは息子の力量を恐れたのだ、となる。実際、コンスタンティヌスは武官としては一定の能力を持っていたし、キリスト教を公認させ、更にキリスト教徒を優遇するという政策を世の常識にした、という功績はあるが、それ以外の文官としての――ローマ帝国風に言えば執政官としての――力量に関しては、赤点でもおかしくない程度の結果しか出していない。実際、ローマ帝国がかつてのような、広大で安全な経済圏には戻せなかった。

 コンスタンティヌスの最初の子供にそれをなすだけの能力があったかは、わからない。だが少なくとも、武官としてはある程度は優秀だったようだから、彼を後継者にするのが最善だったはずである。

 コンスタンティヌスから三分割された帝国を任された三兄弟は、父を手本にしたのか、すぐに内乱を始めた。兄弟間で済んでいればよかったが、ローマの精鋭の軍人たちまでも巻き込んで、結果としてローマの国力を大幅に低下させる形で内乱は終わった。
 つまり、コンスタンティヌスの後継者人事は大失敗も大失敗であったのだ。自分の子供たちならば内乱を起こさない、という確信があったのだろうか。自身が内乱の勝者であったことを忘れたのだろうか。
 歴史というものは、多くの謎を孕んだ物語だ。答えは出ない。

 だが、コンスタンティヌスの気持ちを想像してみることはできる。正解ではないかもしれないし、彼の生きた時代を思えば、この平和ボケした日本で育った俺には限界があるにしても、それなりに答えらしきものは出せるのではないか。

 それで、考えてみたのだが。

 コンスタンティヌスは、自分の子供たちが失敗することを望んでいたのではないだろうか。つまり、三分割にした帝国の体制が維持されるなんて、彼はまったく信じていなかった。唯一、信じていたのは、キリスト教の教えを叩き込んだ子供たちが、キリスト教の優遇政策をすることではなかったか。事実、それだけは成功している。ローマ帝国の国教がキリスト教になるまではいかなかったが、コンスタンティヌスの次男であるコンスタンティウスによって、キリスト教徒であらずんばローマ市民にあらず、という空気が生まれるまでには至った。
 もっとも、この時代にはすでに異端者という言葉があり、キリスト教内部での不和が生まれていたのだが、それを収めるのは皇帝の仕事ではなかったから、ここでは割愛する。まぁ後に皇帝が介入して無理矢理、議論を終わらせた事実が、東ローマ帝国には生まれるのだが。

 話を戻す。
 なぜコンスタンティヌスは子供たちの失敗を望んだか。それはつまり、子供たちが自分よりも秀でいて欲しくない、という原始的な欲求に負けたのではないか、と推測する。

 元来、生物は自らの子供が自身のコピーであることを望むように遺伝子が調整されている。遺伝子の本能は、自身のコピーを後世に遺すことでしかない。進化も変化も劣化もしない形で、だ。
 だから生物は――特に人は、親として子供が自分よりも優秀であることを忌避するようにできている。コピーであるのだから、劣化してはいけないが、進化や強化されていてもだめなのだ。

 現代では、両親が子供を自分たちよりも優れた学歴を持たせようとするが、それは自身より優秀になって欲しいからではなく、自分たちの意思の代行者として利用したいからであって、つまり、自分たちの意思をコピーした存在であって欲しいという欲求によるものである。つまり、自分たちの支配下に置かれていることを確認するために、子供の自由を奪うのだ。

 コンスタンティヌスはこの考えを捨てられず、だから、自身よりも優秀な皇帝になる可能性のあった子供を殺して、よくても自分と同じで、およそ自分以下の皇帝にしかなれず、そして、肯定になるための道程も自身と同じような形で展開するしかない子供たちに後を託した。

 そのために辺境のローマ市民、ローマの軍人は疲弊して、命さえも落とした。コンスタンティヌスは皇帝をやるだけの器量はあったのだから、そうなるという予想はしていたはずだ。だが彼は、その上で帝国に内乱を起こして、更に市民と軍人たちを疲弊させる後継者人事を行ったのだろう。彼にとって大切なのは、自身よりも優秀な皇帝が後代に現れないことだったのだから。そしてできれば、自分の血筋から出ないことを願った。

 結果だけ見れば、軍人としてのコンスタンティヌスを超えたユリアヌスがという後の皇帝がいるが、彼は内政の面でミスを犯して支持者をなくした末に戦死している。ただし、彼を殺した槍は、彼の後ろから飛んできた、という説もある。先陣を切った皇帝の後ろには、味方しかいないはずだった。
 そして、ユリアヌスでコンスタンティヌスの血を継ぐ皇帝は終わった。

 結局、コンスタンティヌスの血筋の人間で彼よりうまく皇帝であり続けた者は出なかったのである。死後の世界があれば、コンスタンティヌスは大喜びだっただろう。ついでに言えば、ローマ帝国の崩壊は加速していき、すぐに西ローマ帝国は滅亡する。東ローマ帝国はしぶとく生き残るが、その歴代の皇帝たちで優秀な皇帝は数えるほどしかいなかった。コンスタンティヌス以上の皇帝、と限定すればそれはほんの一握りか、それ以下の数だ。

 つまり、コンスタンティヌスの目論みは最後まで大成功だった。彼は間違いなく、勝利者であった。

 だが、当たり前の話で、皇帝――それもローマ帝国のような広大な経済圏であり、多くの人が暮らす国の最高責任者が、遺伝子の本能のままに、帝国の崩壊を推し進めるような判断をしたのは、はたして正解だっただろうか。無論、キリスト教世界からはそうだ、という声が上がるだろう。コンスタンティヌスのミラノ勅令がなければ、キリスト教は歴史の中に埋もれていった、と言われているくらいである。

 だがそれは、一部の神職者の声であって、帝国の崩壊の中で死んでいった市民の声ではないはずだ。

 コンスタンティヌスは皇帝として市民のことを思い、自分よりも優れた皇帝を育成して、彼に託すべきだったのだ。だが彼はそういった公に対する欲よりも、私欲を優先した。
 幸い、子殺しは歴史において罪にすらならない程度の事件である。たかが親が子供を殺すくらいで、権力者の地位は崩れない。だからこそ、コンスタンティヌスは迷わなかったのだと思う。彼の個人的な欲のために、自分の子供を殺すなんていうのは、彼にしてみれば至極当然でしかなかったのだ。親の邪魔になる子供を殺す権利が、親にはある。

 殺された長男は、親に逆らうべきだったかもしれない。が、歴史において親殺しは重罪である。ローマの歴史でもそれは変わらない。つまり、優秀で常識を重んじる男であれば、親殺しはできない。だから、彼は抵抗できずに死ぬしなかったのだ。

 はたして、この二人のどちらに、公に対する欲はあったのだろう――高貴なる義務、と言ってもいい。親とは所詮、義務を放棄して自由を振る舞うために子供を利用するものでしかないのかもしれない。

 親を蔑ろにしていいわけではない。ましてや、殺すのは悪だろう。
 だが、同じ人間であるならば、子供だって蔑ろにしていいわけがなく、ましてや、殺すのは悪である。

 現代でも、子殺しは大した罪にはならない。懲役五年前後であり、同情が集まれば四年以下になることさえもある。それはつまり、社会全体がコンスタンティヌスのように私欲に屈している、ということではないか。
 コンスタンティヌスは公人としても、私人としても失策を犯したと言える。そして現代を生きる我々は、その失敗から学ぶことができるはずである。悲劇を繰り返さないように。

 子供と大人の関係は対等であるべきだと、俺はコンスタンティヌスを通して思った。さて、この世界の下すジャッジは――どうだろうか。

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