なぜ泣きそうになるんだろう
通級の面談で泣きそうになる
先日の子供のいじめ発言の日、たまたま通級の先生と今年度の活動についての面談がありました。
うちの子は読み書きの学習障害で通級に通っているんですが、この面談では、それだけに関わらず他の教科のこと、友達との関わりのこと、学校のクラスのことや先生のことなど、色々広範囲に現状を質問されます。
たまたま朝ショッキングな発言と行き渋りがあったところだったので、つい、バ~っと話してしまったのですが、この先生と話していると、どうしてか涙が出そうになり感情を押し止めるのに苦労するんです。
溢れる感情の理由を探してみた
この不可解な感情の溢れを必死に堪えながらも、我ながらこれが何の感情なのかわからない自分がいました。
私なんで泣きそうなのかな…?
子供がかわいそうで?
それともこんな大変な子育てをしている自分がかわいそうで?
その時はわかりませんでした。
そう言えば、この通級の先生だけでなく、実は他にも2人、子供関係の悩みを話す時に、泣きそうになってしまう人がいます。
ひとりは長男が1~2年生の時に通っていた学童の先生。
もうひとりはその学童の国語教室の先生。
そこで、この人達の共通点を探してみることにしました。
そうすればこの感情の理由が見つかるかもしれない。と。
3人の先生の共通点
学童の先生達は1年生の最初。長男の学習障害が発覚する前のワタシたちを知る先生。とにかく国語が苦手。書くのが苦手。学校は登校拒否しながら無理やり引っ張って連れて行っていた。理由もわからずあの時が一番苦しかったです。通級の先生には洗いざらい話すので、過去の苦労も話しました。
→共通点1 母の苦労を見て知っている先生
学童の先生たちには本当にお世話になりました。
長男は学習障害ははっきりしているとは言え、それ以外の部分でも発達グレーの部分が少なからずあります。準備が人よりゆっくりだったり、少しこだわりが強かったりします。一年生になって、働いているから放課後一緒に居られない母の代わりに、そういう部分をまるごと受け止めてもらっていました。特に国語の先生は本当に優しく褒めて褒めてなんとかやる気を引き出そうとしてくださっていました。
→共通点2 長男の困難の実情を知っている。
ママ友や知り合いに話でも涙は出ない
「長男はこういう困難があって、私も本当に大変だった」という話を友達にすることがあります。こういう関係の場合は、現時点では涙は出ないです。
いや、正確に言うとないわけではないが、状況をよく知っている人以外と話す時はそういう感情にならないものです。その違いは何なんだろう…?
涙が出てしまう状況とその相手、涙が出ない状況とその相手、そして話し方、いろいろ思い返してみると1つ仮の答えが出ました。
「子供は親の鏡」ということば
この言葉、聞いたことありますか?
アメリカ・ロサンゼルス出身のドロシー・ロー・ノルト博士が書いた詩でこういう名前の詩があるんです。
この詩自体はすごく良い詩で、毎日の生活での親の姿こそが、子どもに最も影響を与えるんだよ。だから子供を叱る前に自分の行動を見直しましょうというような意図のものだと思います。
下記引用貼付しますね。
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨(うらや)んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉(ほ)めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世はいいところだと思えるようになる
PHP文庫「子どもが育つ魔法の言葉」より
ドロシー・ロー・ノルト/レイチャル・ハリス/石井千春 訳
この詩を否定するつもりは毛頭ありません。
でもね。じゃあ困難を持って生まれてきた子はどうだろう?
このままこの通りのことが言えない場合もあると思うんです。
例えば、「子供が癇癪を起こすのは親が癇癪を起こすから」ではないわけで。
でもね。母にとっては、子供の業績を褒められれば、自分の育て方が良かったと思うもの。子供の悪いところを指摘されれば、自分の育て方が悪いと責められているような気持ちになるもの。誰しもそんな一面があるのではないでしょうか。
もちろん自分の育て方だけで子供の要素が成り立っているわけではないです。環境もあるだろうし、遺伝的な要素もあるだろう。
でも母の心情としては、赤ちゃんの時子供が小さいって言うだけで、私のおっぱいが足りていないのかな。私のせいでこの子が育たないのかな。みたいな感情になってしまうものなんだと思います。
あなたは間違えていないよ
だからと言って、この子の困難が自分のせいだとは、もちろん私も思っていないです。でも、困難があるこの子の育て方の正解がわからない。その迷いはいつでも、そこにあります。自信が持てないんですね。
そんな状況で、私が泣いてしまう相手はみんな、「あなたは間違えていないよ。上手にやっているよ。うまく育てているよ。がんばっているよ」と言うようなメッセージを、一生懸命私に伝えてくれている人だということに気が付きました。
ママ友達はやっぱり一歩引いていたり、客観的。壁を感じることが多いです。ただ友達の中にも、本当に親身になって話を聞いてくれる人も居ます。そういう場合はやっぱり、涙目になってしまいますね。
感謝
子供の話をする時に、私も涙を出したいわけではないんです。どちらかと言えばもう少しポーカーフェイスで居たいのに、どうしても感情が溢れてしまって困っているくらい。
でも、時にそうやって寄り添ってくれる存在は、本当にありがたいです。育児はある意味孤独な戦いだと思います。どんなに周りに相談しても、育てるのは結局親にしか出来ないのです。
その先生たち、親しい友人達は、それを一緒に戦ってくれる感じがします。そう、共に考え、共に戦ってくれる存在を感じて泣いてしまうのかもしれない。いつも本当にありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?