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改札をくぐるたび、どうしても言えなかった「またね」がやっと言えたとき

金沢駅の自動改札機に3枚の切符を入れようとした瞬間、頭の中の私が「いやだ!帰りたくない!」と駄々をこね始めた。

小さなころから駄々をこねることと無縁の人生を送ってきた私は、記憶をさかのぼってみても駄々をこねた記憶がほとんどない。

ひとつだけ覚えていることがあるとすれば、幼稚園のときに何故か美容師さんにテクノカットにされたあの日、家に帰ってから部屋にこもりたくさん泣いた後、「こんな髪型で幼稚園には行きたくない」と母に駄々をこねたぐらいだと思う。

そんな人生を送ってきた27歳の私は、どうしてだか金沢駅の改札を潜り抜けようとした瞬間に「帰りたくない」と駄々をこねたくなったのだ。

もちろん、大人だからそんなことはしないけど、心がソワソワして、何らかの衝動に駆られそうになる気持ちを必死に抑えて、なんとか特急サンダーバードに乗車した。

自宅のある大阪には定刻に着き、最寄り駅まで向かう電車に乗りながらふと思い返していたのが、突然「帰りたくない」と駄々をこねたくなった自分のことだった。

ーー

思い返すこと3年前の5月。大阪に出ていた緊急事態宣言が初めて明けた日の早朝、何も見ない、いや、見えないようにそそくさと金沢駅の改札をくぐった私は、念願だった金沢での暮らしを想像よりもはるかに短い期間で終え、この街から立ち去るように始発の特急電車に飛び乗った。

そのときに感じていた悔しさや悲しさはずっと心に残っていて、実家に戻るまでの電車の中で「もうここに来る機会は減るんだろうな」なんてことを考えながら、まだ明けない早朝の空が少しずつ明けていく景色を眺めていた。

乗っている特急電車が少しずつ大阪に近づくたび、好きだった街との距離は物理的にも、心理的にも離れていくようだった。

ーー

2019年の春。私は「一度住んでみたかった」という理由で知り合いはゼロ、土地勘もほとんどない石川県金沢市に引っ越しを決めた。

実家のある大阪から初めての一人暮らしがまさか縁もゆかりもない、ただ「好き」という衝動だけで住むことを決めた街になるとは思ってもいなかったけど、行動力だけはある私にとって一度決めた物事を進めるのは簡単だった。

秋には内見を終わらせて無事住む家を決めた矢先、思わぬ出来事が起きた。

あと1週間で引っ越しというタイミングで突然仕事の契約が打ち切られることとなり、フリーライターとして金沢で仕事をしながら暮らす予定だった私の未来予想図はあっという間に消え去ることになったのだ。

当時の私は心ここにあらずな状態で、ただ流れていく時間に肉体だけが着いていくような感覚を持ちながら、それでもなんとか肉体に着いてくる微かな精神力で必死に引っ越しのことを考えた。

仕事がなくなったことを母に伝え、金沢への引っ越しについて「どうしよう」と相談したとき、母は「引っ越しのためにこれまでずっと頑張ってきたんだから、すぐこっちに帰ってきてもいいし、まずは行くだけ行ってみたら?」と提案してくれた。

その優しさはとても嬉しかった。でも、心のどこかでは「もうやめたら?」と言ってもらいたかったんだと思う。そう言われたら「そうだよね。仕方が無いよね」って言い訳ができたから。

そんな弱い自分の気持ちを母の提案は前向きにさせてくれた。「そうだ。このために頑張ってきた自分に失礼なことだけはしちゃダメだ」。そうやって半ば無理矢理に気持ちを前に向け、金沢への引越しを決めた。

とはいえ、「このままのメンタルではどうにもならない」と、金沢への引っ越しを2週間だけ先にずらした。だからと言って何かをしたかといわれると特別なことはせず、仕事がなくなってから引っ越すまでの約2週間はただ引っ越しに向けて気持ちを整えながら時間が過ぎていくのを待つだけだった。

ーー

金沢への引っ越しには母がついてきてくれた。もし母がいなかったら、殺伐とした新居の部屋で抱えきれない不安を爆発させるほかなかったと思う。それぐらい、何もない部屋で過ごす時間は虚無だった。

母がいてくれた3日間はあっという間に終わりを迎え、大阪に帰る母を金沢駅の改札前から見送るとき、じんわりと目の奥がぼやけてきて、次第に喉の奥は熱さを帯び、ギュッと口をつむぐ。

「ありがとう」。

母が改札をくぐる前に大事な言葉を伝えられなかったのは、口をあけたら涙と同時に最後の最後まで伝えるか迷った「大阪に一緒に帰る」の言葉が出てしまいそうだったからだ。

膨大な感情を抱えながらなんとか母を見送り、初めて一人暮らしの家にひとりで戻ったとき、仕事がなくなったあの日から2週間という期間でたっぷり溜めた不安や悲しみが体中から溢れ出た。

そんな感じで始まった金沢での一人暮らし。

母が実家に帰った後、ひとりで金沢の街を散歩をしているときに「このままじゃダメだ」と決断をしていくつかのアルバイトに応募をした。

有難いことにアルバイト先に恵まれて、3つのアルバイトを掛け持ちしなががらの生活が始まった。朝10時から深夜1時過ぎまで働く日もあったけど、どのアルバイトも楽しかった。

それに、金沢に引っ越すためにフリーランスの道を選び、3年近く一人で黙々と仕事をしてきた私にとって、久しぶりに誰かと一緒に働く時間はどれも新鮮で、何気ない会話が心から愛おしかった。

アルバイトをキッカケに人との繋がりを大切さを思い出した私は、「こっちで知り合いを作ろう」と金沢で開催されていたライター講座に参加をした。そこで知り合った同世代の女性は、初めてできた金沢の友だちのような存在で、誰かと外食することの楽しさを思い出させてくれた人でもある。

そんな人たちと過ごした優しくて穏やかな時間があっても、なかなか気持ちの波を安定させることはできず、年が明け用事で実家に帰ったタイミングで金沢に戻ることができなくなったこともあった。

とはいえ、家賃は払っているし、アルバイトだってしている。なんとかギリギリの気持ちで実家から一人暮らしの家がある金沢に帰ってきた日、すごく覚えていることがあった。

それは、金沢を感じられる象徴でもある、鼓門を見ながら、スゥーッと大きく息を吸ったときに、体が少しだけシャキッとするような感じがしたこと。

「そうそう、私はここに住みたかったんだ」。そんな感覚が一人暮らしの家に帰る背中を押してくれた。

金沢で暮らしたかった理由は正直なところ今もよく分かっていない。

雨の多いどんよりとした天気、ピキッとした冬特有の寒い空気感。散歩したくなる景観。手の届く範囲にいろんなものが揃っている便利さ。余所者は余所者という人の距離感。

言い出すとキリがないぐらい、私にとって金沢はちょうど良い街で、ピタッとフィットする感覚を覚えることが多かった。

ただ、どれだけ好きな気持ちがあっても、心の一番深いところにつっかえたままの何かは一向に消えることはなかった。

そして、引っ越して数ヶ月後には新型コロナウイルスが猛威を振るい、第一波でアルバイト先の出勤日数はほとんど無くなる状況で、「一度家に帰ろう」と引っ越して1年も経たないうちに実家のある大阪に戻ることを決めたのだった。

ーー

あれから約3年が経つけど、本当にあっという間の3年間だった。帰ってきてからはライターとしての仕事を立て直し、それなりに楽しく日々を生きている。

正直な話をすると、大阪に戻ってきてからすぐは「金沢にまた行こう」なんて気分にはなれなかった。それでも、時間というものは偉大で、戻ってきて1年半ほどが経った2020年の冬、「久しぶりに金沢へ行こうかな」という気持ちになった。

あまり良くない思い出が巡ってくる改札をくぐりぬけ、金沢駅の広い構内に降り立った瞬間、なんだか心がワクワクして、マスクの下の顔がほころんでいく。

当たり前のように東口から北鉄バスに乗ると、馴染み深い道をバスが進んでいく。窓から見える街並みの移り変わりはバス停ごとにハッキリとしていて、それが金沢の街らしくて見ていて楽しかった。

「そうだ。私はやっぱりここが好きなんだ」。

そんな気持ちを噛みしめながらホテルに荷物を置いて、散歩道を歩いた。約1週間の滞在期間中は仕事をしながらお世話になった人とご飯に行ったり、行ってみたかったお店に一人で行ってみたりと充実した時間を過ごした。

楽しい滞在期間はすぐに終わり、大阪に戻るとき、これまでとは違う名残惜しさを感じながら改札に切符を入れる。

「また遊びに来たい」。

よく考えてみると、金沢に引っ越しをしてからそんな気持ちで改札をくぐるのは初めてだった。

そして今年の1月下旬から2月上旬にかけての約10日間、また金沢へ向かった。旅の目的は2022年を駆け抜けた自分を癒すためでもあったけど、もうひとつ考えたかったことがあった。それが金沢でもう一度暮らすこと。

正直、金沢での暮らしを思い返すと、出てくる記憶はどれも暗いものばかりで、「思い出しちゃ駄目だ」と目を瞑りたくなる。

それでも、目を瞑りながら混濁とした記憶の海を手でかき分けてみると、好きな街の空気感、出会った人との優しい時間、あの街でしか生まれない創造力。いろんなものが宝石みたいにキラキラと見えてくる。

「金沢に住みたい」とお願いをしに行った尾山神社

なんで好きなのかは分からない。でも「好きだ」と思い込めること。これが私にとって大事なことなんだと思う。

今年28歳になる私は今は実家で暮らしていて、まだ2年ぐらいは関西でバタバタと動き回る予定がある。それが終わった後、ちょうど30歳になるタイミングあたりでまた一人暮らしをはじめるときはどこに住もう。最近はそんなことを考えることが増えた。

そうやってぼんやりと先のことを考えたときに、やっぱり浮かんでくるのは好きな街だった。とはいえ、次の一人暮らしの家探しはかなり慎重で、猫と共に責任を持って長く暮らせる場所を選びたい。

「好き」だけではうまくいかないことも、「好き」だからこそなんとかなることも知ったからこそ、なかなか決断ができないでいた。

住んでいたときによく歩いていた道

そんなことを考えながら金沢の街をたくさん歩いた10日間の滞在で「住まなくてもまた来ることはできるし、関わろうと思えば仕事で関わることもできるんじゃないか」という選択肢が出てきた。

これまでは「好きだから住んでみる」という選択肢しかなかった私の金沢への気持ちに、「好きだから街に関わる」という選択肢が増えたことで、パッと視界が開けて、何でもできるような気持ちにもなった。

そうやって選択肢が増えた金沢での滞在を終えて自宅に戻ろうと改札をくぐったとき、初めて「ここから帰りたくない」と思った。

本当は引っ越しをしたあの日からあるはずだった感情をやっと感じることができたとき、少しだけ金沢という街がホームのように思えた。

ずっと言えなかった「また来るね」がやっと言えたとき、その「また」のなかに、今はまだ見えない暮らしや金沢との関わりがあるのかもしれない。

「住みたい街で暮らしたい」と初めて思ったあの日の私に久しぶりに会えたような気がした金沢での10日間。

きっと私はこれからもこの街と関わり続けるのだと思う。








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