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曇りのなき目で

言いたいこと伝えたいことが山ほどある。
前回の投稿をしてから1ヶ月が経った。
ある程度成熟した中身の状態で、古い男性性の社会構造の中に敢えて身を置くことで得られるものがある。
それは現在の私自身の社会的な立ち位置がどのあたりにあるのか、
ということをまざまざと体験できるし、
中身が未熟な20代では目の前の体験の真の意味に気づかずに
外枠だけに振り回されて時間を費やすことになっただろうと思う。

目の前で起きる出来事にどんな意味づけをもたらし
叡智に置き換えるのか?

それは20代で社会に揉まれ、出産子育てをして
子が離れ、自分の生きる意義を見つめる40代までに、
精神性が磨かれて、
あらゆる出来事の中に真贋を見出せるまでに。

曇りのない目で、物事を見通す力。
智恵のある女性。

そんな成熟した自身を感じる素晴らしい歳月。

今まで築き上げてきたものをプライド含め、すべて一旦捨てた。
捨てられたから、真の恵みに気づく。
だって本当に私は無能で価値がない。

持っていたはずのものが何もなかった事を知ったとき、
私の奥ですべてが弾け飛んだ。

それは熱で、パッションだった。
命の鼓動だろうか。

何も通用しないところで
「あなたは何者?」
と問われる。

そのプレッシャーと圧力の中でしか
出会えない真の私がいるのだろう。

自分みたいなもの、を優に超えたところにある
大いなる場所から授かった清らかな私そのもの。
そんな場所から放たれる魂の願いに出会う。

偽善でもなんでもなく、
「私は精神誠意、心を込めたお仕事をして、
身体がすべて溶けてなくなるほど誰かのために
尽くしたい。」
ただそれだけの純粋な主張を聞き入れた。

無知で無力な自分を最大限に受け入れる、
黄泉がえりの通過儀礼。

今まで生きた39年を一旦捨てる必要があったのでしょう。
何も持てないと知ることで、本当の豊かさに気づく必要があったのでしょう。

自分の内側からピュアな願いが出てくるこの日まで、
そして確固たる信念を抱けるまでの
必要なプロセス。

そんな風に感じます。

あなたはどんなプロセスの最中にいますか?

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