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算数がうまくできないわたしは多分、生きるのがへた。


わたしは勉強ができない。
特に算数は絶望的である。未だに頭の中で九九の歌をうたっている。


両親に褒められた記憶ってほとんどないのだけど、ひとつだけ覚えていることがある。小学一年生だったと思う。

12-7=?

みたいな問題で。どうしてわかったの?と聞かれて、
「2+3は5でしょ?」と答えた。

「すごーい!天才だー!」
母は大げさに喜んで見せた。

おそらくこれが、わたしが褒められた唯一の記憶。
大したことないし、わたしが子供だからそう言ってくれただけ。わかっているけど、今でも思い出す。覚えている。

なんといっても、これがわたしの唯一だからである。


算数が苦手な理由は、公式の理屈が理解できないから。簡単なたし算、ひき算はなんとかなる。公式。公式がわからない。トリッキーな動きをされたらわからない。ひっくり返したり、移動させたり、そういうもんだって言われてもわからない。


そういうもんってどういうもん?

対して母は数学の類が得意。だからどうしてわたしが理解できないのかが理解できない。
一問解くのに何分かかってるんだと怒られる。
宿題の時間が大嫌いだった。


わたしはただ、自分で理解して問題を解きたかった。ただそれだけだった。理解のない反復に、意味があると思えなかった。「そういうものだ」と受け入れれば楽だったかもしれない。けれどわたしが知りたいのは答えではなく過程だった。なぜその答えに辿り着くのか。


ある時の授業で、提示された答えになるように自分で式を考えるというのをやったことがあった。体積や面積を求める問題だったと思う。

頭の良い子はすでに公式を知っていて早々と先生に見せに行く。わたしは時間がかかりながらもものすごく長い式を展開させ、答えに辿り着いた。

丸はもらえなかった。
しかし、敗因はわかっている。わたしの説明不足だ。そう思えるくらい自信に満ち溢れていた。

自分ひとりで答えに辿り着いたことが誇らしかったのだ。


(円錐の体積をもとめる公式は覚えている。何故なら砂を使って本当に円柱の三分の一になることを見せてもらったからだ。子供のわたしは納得した。)

母に一方的に怒られるのは嫌だったし、怒られる理由に納得していなかった。過程を知りたい、自分で解きたいというのが間違っているとも思えなかった。
けれど子供のわたしに説明させるには圧倒的に語彙が足りない。くやしい気持ちでいっぱいだった。
絶対に泣くもんかと涙を堪えれば堪える程、こぼれてくるのもまた嫌だった。


今でもうまく伝えられずに苦い顔をするわたしがいる。

「なんで」「どうして」でいっぱいになって、芋蔓式で検索しまくっていたりする。ひたすらwikiを読み続けていたりもする。

もっとちゃんとした子供をやれてたら、もっと褒めてもらえたかな、と考えたりする。ちゃんとした子供をやれなくて、申し訳なかったと思う。自慢できるところがなくて母が肩身の狭い思いをしていたのではないかと思ってしまう。

人生下手なりに生きてきて多々ある失敗も経験になったし、笑って話せるくらいには図太くなった。
自慢の娘にはなれなかったが、もうどうでもいい。

x=yじゃない。
わたしは母じゃない。

相変わらず算数は苦手なまま。
でも今は公式の外でも生きられることを知っている。

不器用な自由である。


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