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おなじファインダーをのぞく。

「写真とかあんまり興味なかった。」

そのときぼんやりと、むかし母から言われた言葉を思い出していた。

「カメラなんかやってなんになるの。」

仕事にするならカメラを持っていいの?
わたしがこどもだからだめなの?
勉強ができないからだめなの?
ただ好きだからじゃ、だめなの?

結局、母にそれを追求することはなかった。わかって欲しいなんて気持ちはこれっぽっちもなかったし、母が納得するようなうまいことを言える自信もなかったから。

ある日トイカメラを触っていると、親戚のおじさんが言った。

「そんなのおもちゃだよ。」

多分それは「そんなものカメラじゃないよ」という意味で発せられた言葉だった。なんの記録も残せないお前の眼球よりよっぽど高度なものだ、と心の中でつぶやいた。

とにかく、どうやら大人は、わたしがカメラを持っているのが気に入らないらしかった。

そのせいか大人になってからもなかなかカメラを買えずにいた。そのうち携帯電話も進化して、スマートフォンの画質がうんとよくなったので、それでよしと思うことにしていた。

でも写真は好きだった。

写真の勉強なんてしたことがないわたしは、よくあるスナップしか撮れない。ものすごい作品なんて作れはしない。でもそれがわたしの目で、わたしの見ている世界なのだ。一瞬を記録する。まばたきするみたいに。「今」はあっという間に過ぎていく。生身では追いかけられない。でも写真は切り取れる。

きれいな写真だったり、なんだかよくわからないけれど惹きつけられる写真をみたとき、その写真を撮った人の目になりたいと思う。その人の目で世界をみてみたいと思う。それはきっと、わたしが見ている世界とは違う。同じ機材をつかったって、絶対に同じ写真は撮れない。それが魅力だと思っている。
だからわたしのスナップにも、わたしにしか撮れないなにかがある、と、思いたい。

ベトナム旅行に行く際、思いつきで購入したミラーレス一眼は、やはりまだシャッターを押すだけで、ろくな設定もできない。持ち方すら覚束ない。しかし勝手にピントも合うし、容量さえあればいくらでもシャッターを切れるから、本当に便利になったと思う。フィルムのときのように丁寧に大事には撮らなくなったかもしれないが、まさにまばたきをするように撮れることに満足していた。

「写真とかあんまり興味なかった。」

そう言ったのは今のパートナーだ。そうでしょうね、とわたしは思った。今まで付き合った人は大体みんなそう言っていた。

でもそんなものはもう知ったことではない。大人になったわたしは黙らない。

買い物の帰りにかわいいお花が咲いていたから写真を撮る。夜勤明けの朝日に透ける葉っぱがきれいで写真を撮る。彼が作ってくれたオムライスが美しいから写真を撮る。変な格好で寝ていたから写真を撮る。寝癖がおもしろくて写真を撮る。パジャマがかわいくて、ぽっこりでているお腹が、フライパンをゆらす腕が、厚いくちびるが、笑い皺が。

手に持ったスマホをタップするだけで、彼が保存されていく。

そんな取り留めない日常の一枚を、勝手に共有していった。

「俺ってこんな顔してるんだ。」

わたしが撮った写真を見ながらそう言ったのは、まだわたしと付き合う前だ。本当にはじめて見た、ぐらいのそれ。わたしと付き合いはじめて、彼はわたしの写真も撮ってくれるようになった。とても人には見せられないようなひどい顔のものもたくさんあるのだけれど、それを見て笑うのも楽しい。
撮られるのは得意じゃなかったのに、不思議だ。

近所で桜が咲き出したので、通りがかりに写真を撮る。すると彼もスマホを取り出して写真を撮りはじめた。背が高いので、わたしよりずっと桜に近付ける。スマホのカメラの使い方をまったく知らない彼に一言二言教えると、あっという間に上達した。

スマホを忘れたときなんて、わたしのスマホを使って写真を撮った。そこまでして写真を撮りたがる人だっただろうかと、わたしが驚くほどだ。

満足気に見せられた写真に、わたしは少し笑ってしまった。

どこか、なんとなく。
わたしが撮る写真に似ていたから。

どうやら彼もわたしと同じような世界をみている。
それとも、わたしのみる世界をのぞいているのだろうか。

しあわせだな、と思った。

近所を散歩するだけなのに、カメラを首にぶらさげて。ファインダーから写真を撮る彼の横顔をのぞく。

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うれしいです。ありがとう。
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自己紹介がにがて。劣等感のかたまり。いつでも夢のなか。
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