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腹が『実』か『虚』か。人生の行き先が変わる。

交通事故の示談交渉していたせいで、

どこにいってもクレーム対応を任されることが多かった。

なので人よりすごくクレーム対応の経験が多い。


だからと言って好きなわけじゃない。

正直に言うと、大嫌いだ。

そもそも怒っていたり不機嫌なひとの傍にいるだけで

カラダが緊張してくる。

整体指導者の先生にもカラダが敏感だから

クレーム対応に向かないよねって。


おっしゃる通りでござるよ。


ストレスが高じてくると下痢になって、

ときにはうっすらと声が出にくくなる

どもり傾向に至るのが自分でもわかる。



そういうときに自分の状態を観察すると…

あ~あんなの死んじゃえばいいのにとか

このクソォがなどなど

不満と嫌気がぐるぐるぐるぐる

してた。

そんなときに気づいたのは

カラダが虚になっているってこと。

『虚』っていうのは

お腹に呼吸が入っていない状態。

だから気が充ちていない状態。


反対に

お腹に呼吸が入っていて

気が充ちている状態は『実』という。


何気なく働いていると忘れがち。

ヤクザと喧嘩するときだったら、

震えるくらい怖かったりするから

事前に下腹に呼吸を入れて気合をかけて

カラダが虚にならないよう注意していたのにね。


デスクワークでの電話接客だと

座高が高いので

目の前のひとと顔が向き合わないように

姿勢を丸めていたりするもんだから

どうしても腰を入れない

虚になりやすい状態になっていた。



それでも、電話を取るときにどもりそうだなと感じたら

イエィーイと無声気合をかけるとどもらないの。

で、気づいたわけ。



普段カラダが虚になっているんだって

『術者は常に実でなければならない』

野口先生みたいに目の前で

訴訟をしているひとがかち合わせて喧嘩し出した時に

いちいち反応して虚になっていたら、

平常心で愉気なんてとてもできない。

それを滑稽と感じられるのは自分が実だからできるんだよね。



自殺するひとが多い豊かなこの国では、

まわりを見渡すとカラダが虚になっているひとが街にあふれている。


怖いくらい呼吸が浅いひとがあふれているんだから

カラダが虚なのも当然のこと。


多すぎる情報にいちいち反応していると自分が虚になる。

ネット社会でSNSに大勢が反応していて

それを生業のようにしているひとたちもいる。

世界中が言葉をとりあげて

騒いでいるだけなのに。


虚になると相手や環境から影響を受けやすくなる。

有名な治療家でも、もっともらしく

手が敏感になってしまって

相手から影響受けちゃうなんて

言っているひとがいるけど

単に虚なんです。

実の在り方で両手でふれていけば影響は受けない。



明治?に、居合の達人である黒田泰治先生が

殺気を感じて

抜き打ちで斬ったら

飛びかかってきた土佐犬を一刀両断していたというのも

日常生活の中でカラダが実だからできるんだよね。



『術者は常に実たること』が重要。


でもこれは術者に限ったことじゃないんだよね。


整体という

異常があれば速やかに異常として感じ取り

弾力を回復させようという

平衡要求

ホメオスタシスが動き出すカラダにおいては

お腹に呼吸が入るかどうかが重要になってくる。


お腹に呼吸が入るようになると

自力で回復していくことができる。


たとえば

いじめにあっていたり

困難な状況に遭っていたとしても

お腹に呼吸がはいっていて

腰椎3番に弾力があれば

困難を乗り越えていく力を発揮していくことができる。


だから『実』ということは

自分の人生を歩んでいくうえでとても大切なこと。

心身の好転には『実』は必須であるように

おそらく引き寄せの法則などの

波動

高い周波数の在り方も

この『実』は必須だと思う。


自分のこころが幸せと感じる人生には

居心地のよい心身の在り方は必要だものね。


こころとカラダは同じものだから。








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