エッセイを書くということ
エッセイが好き。
自分でも書いてみたい。
それでも悩んで。
書いたところで、なんになるんだ?
芸能人でも有名人でも誰でもない・・
30代ど真ん中の私。
そんな私の「今」を記録すること。
エッセイを通して、自分の気持ちや言葉を吐き出して。
これは自分を大切にすることに繋がるのではないだろうかと・・・
恥ずかしがっていたのは何なんだと言わんばかりの大志を抱いて、
ふと、今朝書くことを決めたのだった。
友人に連絡した。
(きっと応援される!と思い、執筆を勢いづけたかったのだと思う。ここまでできちゃうんだから、世話がない。)
やっぱり楽しみにしてくれて、嬉しくなった今、書き始めたのだった。
普通という本質はわからないけれど、
例えば、自分の普通を作っていくのが人生なのだとしたら、
色んな人の普通をのぞける世界はとても大切で、参考になる。
連絡した友人は、このことで少し前にも、相談相手になってくれていた。
その時私は、「何者でありたいか、という人生の思考を手放すことにした。」
と語った。
「何者でもありたくない。自分でありたい。」
20代〜30代前半っていうのは、
常に「何者かになりたい」に翻弄されてきた記憶が濃かったのだ。
好奇心旺盛な私は、その翻弄をとことん楽しんできた方だから、
どちらかというと、重い感覚の過去を伝えたいわけではない。
でも、それが面白いとも思えなくなってきたのだった。
友人は、
意味不明な宣言をした私に対して、
「なおさんの何気ない日常をもっと知りたい。」と言ってくれた。
誰かの日常は誰かにとって普通ではなくて、それが人生に面白さを与えてくれるのかもしれない。
だから、自分という人間が取り巻く世界を、感情を、考えていることを
恥ずかしげもなく、披露していこうと思った。
それが今のこのエッセイにつながったのだ。
私は人より、頭の中いっぱいに自分と会話している方だと
思っている。言葉でいっぱいになる。
残念ながら、それが文章になる前に消えて、言語化に追いつかない。
支離滅裂な言動で苦労したし、
そうなりそうな時は、あまり多くを話さずにきた。
だから、
私の人からの第一印象は、理論的でしっかりとしたお姉さん肌の人だ、
と思われることが多い。
よく知っている人からすると、全くの逆の印象だ。
この支離滅裂さは、感情豊かで子どもっぽい表現とも言える。
この状態は自分にも癒しと安心を与えている。
そうなる思考の部分を
このエッセイでも披露させてもらおうと思っている。
自分の中の言葉が消える前に、残していきたい。
自分の気持ちを知れるのは自分だけ。残せるのも自分だけ。
そんな具合で自分を納得させた。
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