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番外編 「UofT/OISEで大学院行って学んだことは、今のお仕事でどう活かされているか」

こんばんは。本業とそれ関わる勉強、自分のPh.D.出願準備で夏場は読み物とまとめばかりしてこっちの話を書くのが進んでいませんが、海外大学院志望の皆様(そもそもそれで始めたんだろこのnote)には、「進学・修了して、実際どうなんよ」と思われる方も少なくないと思いますので、今回は「そこで得たものが(私の場合)仕事にどう活かされているか」について書こうと思います。

まずは私の経歴のおさらい(詳細は過去の投稿参照)
・高校で留学→大学で留学
・大学の留学(派遣)のお仕事してて「…自分行ってるし、今学生送ってるけど、留学自体のこと勉強したことないな」と気付く
・↑についてフォーマルに勉強するため大学院出願、受かった3つからトロント大学を選ぶ
・ちゃんとお勉強して修了、意外と成績良かったのでPh.D.進学も視野に入れつつまずは現地で生活するにお仕事、という所で現職(某独法現地採用)に至って2年超
とこんな具合です。

今のお仕事は↓を支援する
・日本企業のイノベーション関連でのカナダ進出
・カナダスタートアップ企業の日本進出
業務ですが、ざっくり言うと営業とビジネスデベロップメントとマーケティングの間の様な感じで、両サイドの企業、関連団体に「うちと付き合うと良いことあるよ~」とネットワーク拡大と普及をしつつ、実際何かしたい所にはその仲立ち・お膳立てまでをします。

前職(公立大学の留学派遣)と実質はあんまり変わらない。某大学の国際センターは教員主導ではなく職員主導だったので、
・提携できそうな所を探し、イベント時には売り込みや折衝(とは言え交渉の余地無いけども)
・提携先との日常のやりとり
・学生の派遣(及び受入れ)業務
をセンターとしてやっていたという。しかも両方とも法人としては地方か国かの差はありますが独法で、行政的なお作法と民間的なお作法の中間でそれをやる…つまり「UofT/OISEで学ぶ前後でお仕事の本質が変わらんので比較がしやすい」という。

その観点から仕事の仕方を比較すると大きく以下の3つが変わったと言えます。
1)対象や方向性、自分の意見について根拠を調べられる
2)思いつきや、経験じゃなく理論に則った方向性、予測、事例が示せる
3)それらを踏まえ「その筋には詳しいですが何か?」と言えるし、話と態度が通る

1)対象や方向性、自分の意見について根拠を調べられる
日本の職場一般のご多分に漏れず、職員が当座の仕事をこなすだけで積極的に勉強をしない環境でしたが(勉強という投資をしないと仕事の効率化も考えられんのだけども先立つ余裕が…)、その中では一人ヨーロッパ留学派遣に関わって「EHEAとは…ECTSとは…質保証とは…」と勉強していたワタクシ(それがあって進学出来たんですが)。そういう環境で下っ端はビジョンを示しても…まあ、反響が無い。だからといって反響出る程めちゃくちゃ勉強してたかというと…そうでもない。

それが今は大学関連と、それを軸にした現職ネタだと
・大体どういう理論や業界、キーワードという文脈で論文を探すか
・下調べでとりあえず目を通した後に、どれをちゃんと読んだ方が良いのか
・理論的な根拠と、それを現状に即して参照した際の合理的なストーリー、画の描き方(←それって結局は学期中の課題のペーパー書くのと同じ話)
が分かっているので、ガチ論文さ~っと調べて、さ~っと読むと、調べてない人よりも明らかに「理論とデータという根拠のある自分の話」が出来る様になりました。(この「さ〜っと」の当たりの付け方が難しいのだ!)

2)思いつきや、経験じゃなく理論とデータに則った方向性/予測、事例が示せる
「理論とデータという根拠のある自分の話」は、圧倒的大多数の人が繰り出す様な「単なる自分の思いつきや経験則」ではなく、しっかりとした科学的合理的手続きを踏んで導出された「ある程度一般化しても大丈夫そうな(特定の)人間社会の傾向」についての表明なので、それを使うと「こういう事象には、こういう傾向があるので、このままだとこうなるのでは」という方向性/予測(天気予報みたいな)、「それと実質が似た話だとこんなですね」という事例が(別に聞かれてないのに)出せるようになります。

これは勿論内部のステークホルダー的に重要ですが、外部向けにはより重要で、私が語るストーリー、書く画の信憑性が、相手における自組織のレベル感の認識にも関わってくる。偶々窓口となった人がアレ(阪神のアレじゃないですよ)なら「…ここ組織として大丈夫かいな」と思われるし、その人が切れ者なら組織もそう思われる。

3)それらを踏まえ「その筋には詳しいですが何か?」と言えるし、話と態度が通る
1+2を踏まえて、自分の意見・予測に対して厚めの(社会)科学的・理論的根拠を持って(盛って?)おくと、世間の大半がそうしない中において「あ、この人(自分で何を言ってるか)分かってるし、質問してもちゃんと返ってくる…。」という反応に、合理的でマトモな組織ならなる…筈です。(少なくとも現職場は。学位でしばく権威主義は無く、合理的に「あ、そりゃそうだな」が通じる。権威主義やら年功序列やらで話が通じないのは本人じゃなく組織構成・文化と制度的現実感の問題なので…。)
『実質を伴う「自分詳しいです」オーラ』は転職しよっかな~/キャリアアップ~となると、どこか知り合いに「あれ、うち今人探してるけど?」と呼ばれるか否かという所では勿論重要ですが、そこに限らず勤務中の『「あの人に聞いたら何とかなるんじゃないの?」と期待させて実際なんとかなる/する』においても重要です。頼れる人は頼られ、情報を出す所には情報が集まり、期待されれば実績は増える…良いサイクルですね。

求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。  すべて求むる者は得、たづぬる者は見いだし、門をたたく者は開かるるなり。 (マタイ7:7, 7:8)

進学自体はいつでも好きにすれば良いわけですが、経済的な野心であれ、自己満足であれ、した場合は「その事実(とそこに費やした資源)」は少なくとも自分に対して正当化したいもの。そういう意味で、それが当人に対してペイする/経済的な費用対効果が発生して正当化し得るか、は分かりませんが、(少なくとも)ちゃんとやれば自分がお仕事に対して出来るネタは増える(…筈)です。

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