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お婆さんはどこへ行った?

 猫が「お婆さんがいなくなったこと」に気づいたのは5月の初めのことだった。猫の毎日の食事やトイレの掃除はお婆さんの息子夫妻によって行われるようになった。毎日寝ていたお婆さんの布団も片づけられてしまった。ある日、黒い服を着た人がたくさん家に来て、泣いたり笑ったり、お酒を飲んだりご馳走を食べて帰って行った。その後もお婆さんはいないままだ。
 猫は友達の黒猫に尋ねた。「お婆さんがいなくなった。どこにいるか君は知っている?」黒猫は「知っている」と答えて言った。「君のお婆さんは、焼かれて骨になったよ。君の家の茶の間の仏壇に骨の入った壺がある。それが君のお婆さんだ」。猫は壺を見つけて、骨を少し出してみて、少し考えて言った。「これは骨だけど、お婆さんではない」
 猫は友達の白猫に尋ねる。「おばあさんがいなくなった。どこに行ったのか君は知っている?」白猫は「知っているわ」と答えた。白猫は言った。「あなたのお婆さんにはすぐに会える。このメガネをかけて」白猫がくれたメガネをかけると、お婆さんが猫の名前を呼んでいる姿がはっきりと見えた。猫はうれしくなってお婆さんに触ろうとしたが、手はふわふわするだけで何の感触もなかった。お婆さんに話しかけても、猫の名前を繰り返し呼ぶだけだった。猫は言った。「これはお婆さんの姿によく似ているけれど、お婆さんではない」
 黒猫や白猫と別れて、猫はひとり暗い夜の道を歩きながら考えていた。
「僕のお婆さんは骨ではないし、映像でもないんだ。じゃあ何がおばあさんなんだろう?」
家に帰ってきた猫は枕の上に顔をうずめた。枕からお婆さんの匂いがした。それはお婆さんが毎日使っていた枕だった。
すると、猫の心の中にお婆さんが次々と溢れてきた。太くて柔らかい手の感触や温度、名前を呼ぶ声、コロッケを作っている姿、夕暮れ時にたたんでいた洗濯物、鼻歌、ストーブの前で読んでいた本、買い物のメモの文字、老眼鏡、似合っていた水色のワンピース、よもぎ色の毛糸の帽子…
「これは確かにお婆さんだ。僕にとっての」と猫は言った。それから少し泣いて枕の上でしばらく眠った。
猫の外側にいたおばあさんはもういない。でも猫は自分の内側にお婆さんがいることを知った。お婆さんは猫の体の中に染み込んでいて猫とともに生きるのだ。

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