思い返せば 「窓辺の灯」
文学のことばが読みたい。
無性にそう思うときがあります。
たとえば、なにかを理解しようとして、長い長い説明文だったり実用書だったりの、温度の低い味気ない文章ばかりをひたすら読みつづけたときなどは、それはもう恋しくてたまらなくなります。
単なる言葉を超えたことばに浸りたい。
そういうとき、頼りになるひとりが、
トルーマン・カポーティ(1924-1984)です。
カポーティの、センシティブな心のはたらきと確かな感性とで織りなす物語は、ことばの端々にさりげない詩情が込められ、切り取った一瞬を奇跡の瞬間に変えて余情をもたらします。また、日常という砂浜に埋没した小さなきらめきを拾いあげて、掌にそっとのせてくれたりもするのです。
まさに望んでいた、文学のことばです。
今回読んだ『カポーティ短篇集』(河野一郎 編訳 ちくま文庫)は、
「ごく初期のものから晩年に近いものまで」の作品12編がおさめられています。
そのひとつ「窓辺の灯」は、
語り手の男性の〈わたし〉が結婚式に招かれ、ニューヨークとコネティカット州の往復を、同じ招待客であるが、まるで面識のない夫婦の車に、同乗させてもらうことになった話からはじまります。
披露宴でふるまわれたお酒を大量に飲んで酔っ払った夫婦は、帰りの車を千鳥足で進めて当然のように道に迷う。降ろしてほしいと泣きつくが、夫婦喧嘩に夢中のふたり。車が立木にこすって止まったすきに、チャンスとばかりに、わたしは後部座席から飛び出して、森の中へ駆け込んだ。4月の寒い日のこと、氷のように冷たい闇の中をともかく歩きはじめた。
ようやく見えた一軒の小さな家。
明かりのともる窓の中をのぞくと、白髪で感じのいい丸顔の女性が、ひとり暖炉のそばで本を読んでいた。くつろぐ数匹の猫たち。
ドアをノックし、タクシーを呼ぶための電話をお借りできないか尋ねる。女性は、あいにく電話はないと言いつつも、暖かい部屋に招き入れてくれた。
ケリー夫人は幅広い知性の持ち主で、亡くなった主人が飲み残したというウィスキーを用意してくれ、目が重くなるまで語り合った。夫人がいま読んでいたジェイン・オースティンのこと、好きな作家のこと、政治家や、遠い土地や、園芸、宗教など、いろいろなことを。
わたしは案内された客間の心地いいベッドに横たわり、しばらくのあいだ物思いにふけった。もし逆の立場だったら、わたしはケリー夫人のようにふるまえる勇気があっただろうか。このようなあたたかいもてなしは言わずもがなだ。
あくる日、朝食をおいしくいただいたあと、ケリー夫人からあることを聞かされます。
それは、他人から見れば、とても驚く風変わりなこと。
それにしても……、窓辺の灯は、なんとまばゆく輝いていたことか。
これは1980年、カポーティが55歳のころの作品です。
これまで、いろいろな人と出会い、いろいろな目にも遭ってきたけれど、思いがけず過ごしたあの日の、心を満たす語らいのあの穏やかな時間は、案外しあわせなときだったなと、しみじみ思い返して、ほんのり灯りがともる。
そんな経験を、物語に仕立てたのではないかと想像します。それに、誰でも人知れず、意外な一面は大なり小なり持っているもの。それをひっくるめて、カポーティは、あたたかい視点で差し出してくれます。
旅の途中に立ち寄った大阪「あべのハルカス美術館」で、『超絶技巧、未来へ! 明治工芸とそのDNA』展 (9/3(日)まで) を鑑賞しました。
撮影許可作品のなかから3つご紹介します。
1年に1度、夜にだけ大輪の花を咲かせる月下美人。驚くことにこの作品は、蝙蝠の2枚の羽をモチーフにした花器の部分に水を注ぐと、閉じていた花がゆっくり開いていきます。
蝶の羽は、着色ではなく、それぞれの木材が持つ自然の色を組み合わせ、作家が独自にあみだした技法の立体木象嵌でできています。水滴部分は、その厚みを残して板を掘り下げ、研磨を重ねツヤをあげているそうです。
(残念なことに、この作品のメモ書きを撮り忘れてしまい、技の魅力をお伝えできませんが、素晴らしい作品です。)
こちらでは現代作家の作品が64点、明治工芸の作品60点が展示されていました。
どの作品も、その超絶な技に見惚れて、もうため息ばかりです!
あなたと、あなたの大切な人が、
この夏を、思う存分、愉しめますように。
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