神は微細部に宿る
表紙の絵にひかれた本です。
『標本画家、虫を描く
小さなからだの大宇宙』
川島 逸郎 著
亜紀書房
標本画の技法を独習で体得した著者が、これまでの道のりと真摯な制作工程を、詳細に綴っています。
*
線と点で描く標本画
形だけを伝える二次元情報を示す図なら
シンプルにそれらを抽出した線だけで描き
立体的な三次元情報のほか
色みや斑紋を示したい場合なら
点描を加える。
点は打つのではなく
一個一個あるべき位置を見定め置いていく。
そのために
30年間一貫して使い続けてきたのは
ドイツのロットリング社製のラピッドグラフ
0.1ミリの製図ペン。
たとえば、表紙のナナホシテントウ。
著者にとって
とても描きやすいように思えた
ナナホシテントウ。
ところが、顕微鏡をのぞくと
なめらかに見えた体表一面に
細かく浅い点刻が高密度で広がっていた。
つまり「でこぼこ」。
「表面のなめらかさや光沢を
表現しながらも
これら細かな点刻が
埋もれてしまわないように」
点をひとつ置いてゆくにも
ひどく気を遣うものだったそうです。
そのナナホシテントウの絵を
虫メガネで確認したら
驚きが広がっていました。
光沢のある上翅の一面に
極微細な点刻がはっきりと見てとれます。
なんど感嘆のため息を漏らしたか
わからないくらい見入ってしまいました。
実体顕微鏡または生物顕微鏡で観察し
それらに付属させた描画装置を用いて
スケッチしている著者が
いつも念頭に置いているのは「再現性」。
「実体あるいは生物顕微鏡で見たときに
誰しもが
同じ観察結果に行き着ける」 ように描く。
そのために事実をどこまでも追いかけます。
著者が手がけた『日本のトンボ』は
日本に分布あるいは記録のある
トンボ全種を紹介したもので
改訂版が2022年に出ています。
(文一総合出版)
トンボの近縁種同士は似ているものが多く
見分けるのがむずかしい。
しかし
「図鑑をつくるわけだから
種の見分けに便利で
確実な同定ができる内容を
目指さなければならない。
それが図鑑の生命線だから」 と
日本産のトンボ約200種の
同定ポイントとなる
雄の尾部付属器の複数の角度からの図
雌の産卵弁の図
赤とんぼの代表アカネ属の
胸側面の斑紋の図など
1055点を描いています。
顕微鏡をのぞいて
その微差を正確に写し取り
確実に伝わるように
手描きでひとつひとつ丁寧に描き分ける。
同定のための指標なので
万が一にも間違いがないように
何度でも確認することになるでしょう。
それらの工程を想像してみただけでも
神経がすり減りそうです。
どんな苦労をともなおうとも
好きなこと
とことん懸けてきたことについては
さらなる高みを目指したいという
純粋な向上心が育まれるものです。
著者がもっとも好きな昆虫はハチ。
「膨大な種類数を擁する
ハチの仲間がもつその色彩や斑紋
形態の多様さにひかれる」のだそう。
そして
「虫の好みはそのめずらしさではなく
描画欲を掻き立てられる特徴が
あるかどうかにかかっている」。
そんな虫のひとつがキアシブトコバチ。
どこでも見られる
体長5ミリ程度の小さな寄生バチです。
著者がこのハチを描くのには
その純粋な動機があります。
土生昶申氏による
アシブトコバチ類の
リビジョン (再検討的な論文) の
細密かつ的確に表現された点描画の数々に
感銘を受けて以来
常に頭のなかにはそれらの画がありました。
だから
アシブトコバチの実物を手にした瞬間
思い立ったのです。
「あの絵を超えてやろう」 と。
バイクに詳しくはないですが
黒光りするこのフォルム
まるでハーレーのような格好良さです。
昨日、お風呂あがりに爪切りで切った
足の小指の爪のかけらよりも
小さい面積しかないからだに
生きるための洗練された機能美が
集約されていることじたいに
まず驚嘆しますが
それを教えてくれるこの標本画の
それぞれのパーツとその質感の妙
ここに点描画の技巧における
粋のすべてが
詰まっているように感じました。
圧巻です!
*
この本には、まだほかにも昆虫の標本画が、その形態の詳しい説明とともに掲載されています。虫のからだの構造に興味がある方にもおすすめです。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
あなたとあなたの大切なひとが
今夜もぐっすり眠れますように