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「見当」の語源は浮世絵だと知った。それだけの話です。

締切に追われているときほど、さっぱり関係ないことを書きたくなるので困ります。

今年は「史上最大の浮世絵イヤー」との呼び声も高い年でして(和樂さん曰く。)、浮世絵に関する展覧会が目白押しの予定でした。中でも東京からスタートした「大浮世絵展」も4月からは名古屋に巡ってくることになっており、楽しみにしていたんです。

コロナで開催できないまま閉幕になってしまい、こんなことなら東京で行っとけばよかった!!!!!!と(今のところ)今年最大の後悔をしました。

私が美術を好きになった始まりは浮世絵なのですが(▼こんな記事も書きました)、

その作り方は何度見ても信じがたい。

どうしてこんなに細かい絵を分業で完成させられるのか、頭では理解できても信じることができないのです。日本人すごい。

世がコロナに埋もれる少し前、ずっと行きたかった「すみだ北斎美術館」に行きました。そこで浮世絵づくりの流れが丁寧に展示してありました。それを見たらますます信じられなくなりました。良い意味で逆効果でした。

緻密で気の遠くなる細かい作業を繰り返すことで完成する浮世絵は、西洋画とはまた違う面白さがあります。(浮世絵にも肉筆画というのもありますが、いったん省きます。)

雑誌「和樂」の2・3月号に「浮世絵スーパー基礎知識AtoZ」という特集があったのですが、その中でも印象的だったのが「見当(けんとう)」の発明。

浮世絵は何枚もの色版を使い、正確に色を塗り重ねていくことで完成できる

のですが、それを実現するための技術が「見当」。これがなければ浮世絵の多色摺りは存在しなかったわけです。

木版と紙をぴったり合わせるための印=見当。私が信じられない信じられないと言っていた技術に最も関係する発明です。これを知ってもなお浮世絵の繊細さへの驚きは薄れることはありませんが、職人の勘とか、長年の勘とか、そんなこと言われても・・・な理由を述べられるよりは誰にでも何度でもできるために再現性ある仕組みづくりがなされていたというのは大変共感が持てます。

そして、これが現在の「見当はずれ」などに用いる「見当」の語源になっていたことを知り、人生でひとつ賢くなった気がしてここに記している次第です。(そんなことより早く原稿を書け、と自分に言いたい)

まさに見当がはずれて「大浮世絵展」に行きそこなったので、せめて家で楽しもうと和樂を読んだり「大浮世絵展」の図録を読んだりしています。

今年の他の展覧会は少しずつ復活して、どれか一つでもいいからまた会場で絵の大きさや厚みを感じながら鑑賞できたらと願うばかりです。


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