最近のメーカーの試験不正について思うこと

ここ数年、メーカーの試験不正が頻発(発覚)している。

この問題に関する根幹は文系思考にあると思っている。なぜかというと、だいたいは上からのプレッシャーだからである。

そもそも、文系思考と理系思考ではビジネスに関する根本的思考が違う。

文系思考は自分のキャリアとどのようにして稼ぐか、が根本であるのに対し、理系思考はどのようなものが世の中の助けや役に立つか、ということが根本で研究や開発をしている(研究や開発の追求は単純に言えばキャリアなどは関係なくできる)。

その結果、文系思考は研究や開発に対して「この予算でやれ」とか「納期はこの日まで」といった無理難題を課すことも少なくない。さらには、顧客に対して「できないと言ってはいけない」というような言葉まである。理系的に言えば、不可能なことは不可能ということがわかるが、理系に精通していない人からするとそれがわからない。そのため、コストや時間に関する判断のすべてが儲けられるかが基準になるし、開発・研究に関しては「君たちはその専門でしょ」という丸投げのスタンスである。

研究者や開発者は世の中の役に立つために必死に頑張っていると思っているし、物事の探求に関してはとことん突き詰めようとする。

これらの努力に対して、おいしいところは文系職が持っていくというのが今の日本の現状だろう。

時々、バイヤーみたいな人が、開発者が必死になって作ったものに対して、「これはダメ」「こんなんでは売れない」と言って、上から目線の発言をしているテレビ番組を見ることがある。凄腕かなんか知らないが、あまりにもリスペクトに欠けていて一瞬でチャンネルを変えたことがある。

正直なところ、研究者・開発者・製造者・芸術などのクリエイティブも含めたものづくりにかかわる人たちの待遇が文系職より低く、リスペクトも欠けているというのは納得がいかないところである。

じゃあ、開発者たちは文系職がやっているようなことはできるのかというような考えもあるかもしれないが、そこは役割分担だと言えよう。作る人も必要なら売る人も必要。ただ、それらの評価が適正であることが必要で、現状はそうなっていないということである。

これを機に、不正が発覚したメーカーのみならず、すべての企業において今一度、ものづくりや研究・開発に対しての考えを改めるべきではないかと思う。

もし、この30年という期間において、それらが正当に行われていれば、日本は大きく発展したのではないだろうか。

まあ、何はともあれ、自分が理系・開発出身で、世の中の文系職や文系思考についていつも思うことがあるので、ある種、バイアスのかかった見方をしているかもしれない点はご容赦頂きたい。

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